そんな相撲時代だけど、世間に名前が知れ渡ったなって瞬間の思い出も誕生日だった。ファンからの誕生日祝いのプレゼントが増えてくれば増えてくるほど、「あ、俺って、だんだん世間に名前が知られてきたんだな」って。誕生日っていうものがそんな物差しだったのも覚えているよ。「おめでとう」っていう祝電がきて、俺も一丁前の、人気者とはいわないけど、それなりのステイタスを保ってきたんだなっていう物差しでもあったかな。

 誕生日にファンからプレゼントをもらうようになったのは、相撲で十両に上がってからだったな。相撲の場合はどんな下っ端でもファンってつくんだよね。自分が全然知らない人が祝ってくれるってことに驚いて、嬉しかったね。でも、下っ端のやつが「誕生日です」なんて自分から言ったら、「なに!?調子こいてんじゃねーよ」って、先輩からゲンコツが飛んできた時代だからね(笑)。

 相撲の下っ端のときはそういう感じで、それがね、稽古が厳しくても、師弟関係が厳しくても自分で乗り切っていけるエネルギーになっていった感じがするよ。いろんな分野でファンの子どもたちっていると思うけど、現役の選手の人たちにはプレゼントを受け取ったことが、そういう自分の活力になるときがあるていうことを知ってほしいな。また、俺も男だから欲が出てね、もっとたくさん誕生日プレゼントをもらって有名になってやろうって、ふっと火が付くもんだよね(笑)。やっぱり、ファンの人は気持ちの刺激になるし、それがエネルギーになる。

 相撲からプロレスラーになって、ちょっと名前が売れはじめたときに、いまの(三遊亭)圓楽師匠なんかと知り合ったの。知り合った30歳前のころ、圓楽師匠も俺と同じ2月生まれだし、もうひとり仲間がいて、三人で誕生日をまとめてやっていた。「もうそろそろ2月だな」って声かけて。当時、30歳くらい、結婚する前から結婚してからもその誕生日会はやっていたんだよね。その日は、もう、ハチャメチャに飲んでいたよ(笑)。圓楽師匠もあのときはいまみたいな状況じゃなかったみたいだから。いろいろあったから、人生いろいろね(笑)。

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家族との誕生日会でうまいことしつけられたよ