大学受験を経ていないものの、大学卒までの年齢は高卒・現役で大学に入学した人のルートと変わらず、飛び級、飛び入学したわけではない。よほど優秀だったのだろう。

 大澤氏は大学受験の弊害について、こう話している。

「たとえプログラミングなど専門分野に才能がある子どもでも、高校2年、3年の時に受験勉強に専念すると、その間、まったく意味のない暗記などをしなければいけなくなります。せっかく詰め込んだ知識も、大学に入るとたちまち忘却されてしまいます。

 しかし、専門教育より学歴を重視する今のシステムでは、こうした『無駄』が正当化されてしまいます。これが日本の教育システムが抱える未修正バグ、『大学受験のジレンマ』であり、日本が技術大国としてのプレゼンスを失った最大の敗因だと思います。苦労して苦手科目を克服して東大に入った時には、疲弊していて、新しい研究をしようという意欲が薄くなってしまうわけです」(「デイリー新潮」2019年9月24日)

 大学受験によって子どもたちの個性、才能がつぶされてしまう、という見方は理にかなっており、それなりの説得力を持っている。それゆえ、なぜ、差別発言のような論理性に欠けた見方をするのか、理解に苦しむ。残念ながら、「最年少」という若き俊才を形容する肩書も、差別発言によって信用を失ってしまった。

 世界をあっと言わせるような若き准教授の登場を、だれもが待ち望んでいる。次なる世代の若き天才の登場に期待したい。そのためには飛び入学、飛び級で人材を育てる教育制度を作って、20歳そこそこの准教授を誕生させてもいいかもしれない。(文/教育ジャーナリスト・小林哲夫