めちゃイケメンバーだった武田真治 (C)朝日新聞社
めちゃイケメンバーだった武田真治 (C)朝日新聞社

 11月24日、第32回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストの最終選考会に、俳優でサックス奏者の武田真治が登場、グランプリ受賞者にエールを送った。呼ばれた理由は、彼が第2回のグランプリ受賞者であることに加え、再ブレイク中だからだろう。昨夏「みんなで筋肉体操」でマッチョぶりを披露し「紅白」にもゲスト出演。いまや筋肉タレントのなかでも人気のひとりである。

【写真】破れたタンクトップと武田真治の筋肉

 それが面白がられているのは、最初のブレイク時とのギャップによるところも大きい。武田はかつて、いしだ壱成らとともに「フェミ男」としてアイドル的人気を博した。線の細い体型とデリケートな雰囲気、その中性的な魅力がウケたわけで、最近のりゅうちぇるやゆうたろう、といったジェンダーレス男子の先駆けともいえる。

 また、今の若手俳優では「グミが主食」などと公言する本郷奏多もイメージが近い。というのも、武田が「フェミ男」になったのは、食生活も原因だったからだ。

 14年に出版された『優雅な肉体が最高の復讐である。』によれば、下積み時代、彼は自分にこう言い聞かせていたという。

「食事とは空腹というイマジネーションを満たすためだけの贅沢品だ」

 地元の北海道から上京して、アパート暮らしを始めたものの、仕事もまだまだ少なく、食事にお金を使うくらいなら、別の「贅沢品」であるファッションなどに使っていた。その結果、身長165センチに対し、体重は48~49キロに。この変化が「フェミ男」人気につながったわけだ。当時は「不健康に痩せ細っても」「サックスさえ吹いていられれば」「世界の中心にいるかのようにハッピーだ」と自分を肯定できていたという。

■顎関節症と診断された

 彼は今年、NHK「ガッテン!」のなかでも「軽く拒食症みたいになっちゃっていた部分もあるかもしれない」としつつ「やせてること自体が仕事に悪影響を与えることはなくて、むしろいい影響だったりもした」と振り返った。

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宝泉薫

宝泉薫

1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など

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