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【追悼・緒方貞子さん】その実像と凄みを長年取材した記者が明かす

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国連難民高等弁務官に就任時、ジュネーブ本部入口で。1991年1月(UNHCR/A.Hollmann)

国連難民高等弁務官に就任時、ジュネーブ本部入口で。1991年1月(UNHCR/A.Hollmann)

水の供給を受けるイラクの帰還難民。1991年11月(UNHCR/P.Moumtzis)

水の供給を受けるイラクの帰還難民。1991年11月(UNHCR/P.Moumtzis)

 日本人初の国連難民高等弁務官として、冷戦終結後の10年間、世界の難民支援を指揮した緒方貞子さんが10月22日に亡くなった。緒方さんを何度も取材した朝日新聞記者の石合力が、緒方さんの著書『私の仕事』(朝日文庫)の巻末解説で迫った、緒方貞子さんの真実とは? その一部を紹介する。

【1991年11月、水の供給を受けるイラクの帰還難民の写真はこちら】

*  *  *
 歴史の波動は、大きな出来事の数年後にやってくる。緒方貞子さんが難民を支援する国連機関、難民高等弁務官事務所(UNHCR)のトップ、高等弁務官に日本人として初めて就任した1991年から2000年に退任するまでの10年間は、まさに歴史の荒波に世界が翻弄され、難民問題が急速にクローズアップされる時期だった。

 本書『私の仕事』は、着任直後に直面したクルド難民危機をはじめ、10年間の折々に起きた世界各地の紛争や難民危機に緒方さんがどう立ち向かったのか、自身が書き、語った記録を集めたものである。問題発生と同時進行、あるいは直後のタイミングで書かれたものが大半だけに、読者は、大国の指導者や紛争の当事者を相手に事態の改善を試みる交渉の緊迫感や紛争の現場に身を置いたような臨場感を味わえることだろう。

 歴史の荒波を前に、決してひるまず、絶望的な状況の中でも楽観主義を失わない、その振る舞いに通底するのは、ルールや前例に縛られず、難民や避難民という弱者の側に立って対応しようとする人道主義だろう。「一番大事なことは苦しんでいる人間を守り、彼らの苦しみを和らげること」(緒方貞子さん、本書より)なのだ。紛争や災害、飢餓などの脅威が多様化し、従来の「国家の安全保障」では対応できない事態に対し、人間ひとりひとりに焦点を合わせて、個人の保護や能力強化などを通じて脅威に対処する新たな概念「人間の安全保障」の重要性を掲げ、援助の現場で実践していった。

 その際、緒方さんの凄みは、とかく理想に陥りがちな人道主義、平和主義といった概念を現実の課題として受け止め、事態の改善に向けて何が必要かを構造的に分析した上で、具体的な解決策を見いだすという現実的(プラグマティック)な姿勢だろう。前例のない事態に悩みながらも、現場に足を踏み入れ、同時に米大統領ら各国首脳や国連事務総長、紛争の各当事者らと粘り強く交渉し、できることを見いだしていく。地に足のついた「リアルな平和主義者」だからこそ、「世界のオガタ」として今なお各国政府や国際機関、援助関係者から尊敬と称賛を受けているのだろう。


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