心霊写真は錯覚で幽霊は脳内映像? “プロレス”に学んだオカルトの復活劇 (1/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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心霊写真は錯覚で幽霊は脳内映像? “プロレス”に学んだオカルトの復活劇

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山口敏太郎dot.
空前のプロレスブームの中心にいたアントニオ猪木 (c)朝日新聞社

空前のプロレスブームの中心にいたアントニオ猪木 (c)朝日新聞社

オカルト研究家・山口敏太郎氏

オカルト研究家・山口敏太郎氏

 かつて一世を風靡していたオカルトブーム。しかし、時代の移り変わりとともにその人気にも陰りが見え始め、いつしか冬の時代を迎えていた。オカルト研究家の山口敏太郎氏は、物書きとして駆け出しだった頃、自身が大好きな“プロレス”をヒントにオカルト業界の立て直しを図ったという。

*  *  *
 昭和50年代後半から60年代にかけて日本では空前のプロレスブームが巻き起こっていた。アントニオ猪木、ジャイアント馬場という両巨頭を筆頭に、藤波辰爾と長州力の名勝負数え唄、初代タイガーマスクによるジュニアヘビー級ブーム、ジャンボ鶴田と天龍源一郎による鶴龍対決などが多くのファンを魅了した。しかしながら、佐山聡『ケーフェイ』、ミスター高橋『流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである』という関係者による暴露本の影響もあってかプロレス熱は段々と下降線をたどり、格闘技スタイルのUWFがつなぎ役となり、大衆の支持は格闘技へと移行していく。

 プロレスブームが終焉するまで、プロレスは真剣勝負と思われていた時期があった。しかし、格闘技全盛の今、そういったプロレス神話を端から信じるファンも少なくなってきている。

 昭和の日本は確かに各分野で「ウブな国」であった。オカルトも同様である。大の大人がユリゲラーという手品師の行うスプーン曲げを超能力と思い込み、ノストラダムスの大予言を真剣に信じ、来たるべき終末に恐怖した。子供たちもツチノコや妖怪ポストを探し、石原慎太郎氏はネッシー探検隊を組織した。昭和に生きた一部の日本人はオカルトを心から信じ、必ず奇跡が存在すると思い込んでいたのだ。

 昭和40年代から始まり50年代まで続いたオカルトブームは、終焉以降も一定の支持を受けて熱が続いていく。しかし、完全にとどめを刺されたのはオウム真理教事件だった。オカルト雑誌で「ただの空中ジャンプ」を「空中浮遊」と喧伝した麻原彰晃は、オカルト雑学を網羅した知識体系を駆使して多数の信者を獲得した。その後、このカルト集団がどのような事件を引き起こしたのかは、説明するまでもないであろう。その結果、テレビから心霊番組が消え、厳しいコンプライアンスが設定された。「オカルト好き=愚かな人」という構図が構成され、オカルトは完全にとどめを刺される形となった。

 筆者が物書きとしてデビューしたのは平成8年であり、オカルトは冬の時代を迎えていた。プロレスとオカルトが同じくらい好きであった自分は、プロレスライターになるかオカルトライターになるかデビュー直前は迷ったのだが、戦略的に競合する人材が枯渇していたオカルトを選択した。確率的に手強い相手が少ないほうが勝ち抜けるという打算が心中にあったのだ。


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