鈴鹿サーキットでは数々のドラマが生まれ、「聖地」として愛され続けている (c)朝日新聞社
鈴鹿サーキットでは数々のドラマが生まれ、「聖地」として愛され続けている (c)朝日新聞社

 今年もF1サーカスが鈴鹿にエキゾーストノートを響かせに帰ってきた。今回で31回目となるF1日本GP in鈴鹿。様々なドライバーたちが名言を残し、聖地とも言われるサーキットだが、そこには歴史と理由がある。なぜ『聖地』と呼ばれるのか、紐解いてみよう。

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 今でも存在しているが、ホンダの鈴鹿製作所が完成したのは1960年のこと。当時、売れに売れまくっていたスーパーカブの増産工場として建設され、現在は主力の軽自動車を生産している。もし、Nシリーズやフィットといったクルマを乗っているのなら、それは鈴鹿で作られたものだ。

 その頃からモータースポーツに積極的だったホンダは国内初の舗装サーキットの建設を目指していた。本来は製作所近くの水田にサーキットを作る予定だったが、ホンダの創立者・本田宗一郎氏の「水田を潰したら、目が潰れる!お米を粗末に扱うな!」という鶴の一声で現在の場所で工事が始まり、1962年に鈴鹿サーキットが完成した。それはホンダがF1に挑戦する2年前のこと。まだバイク単体のメーカーであり、四輪車への進出の意向を表明したばかりでもあった。さらに「家族連れでも訪れやすいサーキット」を目指し、遊園地も併設された。当時のホンダの懐事情を考えたら「非常識な投資」だったが、57年経った今では世界中のドライバーやモータースポーツファンが憧れる聖地になったのだ。

 完成した鈴鹿サーキットは現在のF1開催サーキットでは唯一の8の字型。デグナー出口と西ストレートの部分が立体交差し、それ以前は右回り、それ以降は左回りという複雑なレイアウトになっている。そして最大の特徴は「低速・中速・高速コーナー」が全て揃っており、マシンとドライビングが噛み合わないとタイムが出ないことである。比較的オーバーテイクが難しいが、一つのミスで順位が変わるのだ。世界で鈴鹿以上に複雑でチャレンジングなサーキットはない。マシンと人が一体となって臨まねばならない。

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