ふつうにバルブで撮れるにもかかわらず、コンポジット合成が減らないというのは、楽を覚えてしまった人間は元には戻れない、ということなんでしょうね。

 ホタルの写真も200枚コンポジット合成したら、1匹しか飛んでいないホタルが200匹写っているようになるわけだし。自然を撮っているとはいえないと思う。それらはすべて、「イメージ写真」ですよ。

 いまはやりの風景写真は、そういうイメージ写真が氾濫してしまっている。そこには感動は生まれない。

 だから、コンテストでは私はそういう写真は選ばない。それがふつうだと思うんです。自然風景を撮っている人であれば。

■現場主義の作品を見抜くチカラが必要

 でも、残念ながら、そういう写真がコンテストで入賞してしまう現実がある。

 自然風景をほとんど知らない写真家が審査員になっていたり、主催団体や企業の人が審査員を務めるときがある。そういう人たちがレタッチで劇的にした風景写真を目にすると、「スゴイ!」と思って選んでしまうときがある。つまり、レタッチが上手な人が入賞してしまう。そうすると、「後に続け」みたいな状況が生まれてしまう。

「フィルムのときは入賞できなかったんだけど、デジタルに変えたら入賞するようになった」という人がいて、「それって、レタッチのチカラだね」と思うんです。そういう人たちの写真って、あちこちのコンテストに入賞していても全部、写真がいっしょ。

「インパクトが強い風景写真」が「いい風景写真」と思っている人が多い。じっくりと見られる写真のよさが忘れられている。

 でも、それは私たち、審査をする側の責任でもあるんです。

 レタッチではなく、細部にまですごくこだわって丁寧に撮っている作品だな、とか。この人はすごく苦労してここまで行って撮っている、いまひとつな点もあるけれど、写真に対してすごく真摯な態度で取り組んでいるんだな、ということを作品を選ぶ側が見抜けないと。一生懸命に現場主義で撮っている人たちに申しわけないと思います。

次のページ
写真誌にもプロにも責任はある