ヤクルト・川崎憲次郎 (c)朝日新聞社
ヤクルト・川崎憲次郎 (c)朝日新聞社

 2019年シーズンも終盤戦に突入し、ペナントやクライマックスシリーズ出場を巡る戦いの行方が気になる今日この頃だが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、現役時代に数々の伝説を残したプロ野球OBにまつわる“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「アンラッキーな人々編」だ。

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 高卒1年目であわやノーヒットノーランという快投を演じながら、被安打わずか1で敗戦投手という不運に泣いたのが、1988年ヤクルトのドラ1ルーキー・川崎憲次郎。

 1989年8月5日の中日戦(神宮)、川崎は2回に宇野勝に四球を許したのみで、5回まで無安打無失点。2年前、中日の高卒ルーキー・近藤真一が巨人戦で記録したノーヒットノーランを彷彿とさせるような快投だった。

 だが、6回に落とし穴が待ち受けていた。先頭の中村武志に初安打となる右越え二塁打を許し、送りバントで1死三塁となったあと、打者・彦野利勝のとき、星野仙一監督がベンチを飛び出し、「川崎にボークと思われる動きがあった」と大声で審判団に抗議。心理的に揺さぶりをかけてきた。直後、彦野が意表をつくスクイズ。これはファウルになったが、「2球続けてスクイズというのは、そうはないだろう」という星野監督の心理作戦により、投前スクイズを決められ、先制されてしまう。

 しかし、川崎はここから踏ん張り、6、7回と無安打。8回からリリーフしたデービスも2回を無安打無失点に抑えた。9回をたった1安打に抑えたのだから、川崎にプロ初勝利、デービスにセーブがついてもおかしくないケースだった。

 ところが、ヤクルト打線も1回と3回に2死一、二塁、4回に無死二塁、7回に1死一、二塁と毎回のように塁上を賑わせながら、あと一打が出ない。1点を追う9回、広沢克己の本塁打性の大飛球も、台風13号の影響による逆風で中飛に打ち取られ、9残塁の拙攻で完封負けを喫してしまった。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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「今季最高の投球だったのに……」