打者1人に対しても、サウスポーは威力を発揮した。1980年代以降に投手の分業制が確立されると、永射保が左サイドハンドからのワンポイントリリーフとして活躍し、西武時代に3度のリーグ優勝に貢献。通算606試合(リリーフ556試合)に登板し、「史上最強のワンポイント」、「伝説の左殺し」と呼ばれた。そしてもう一人、1990年代後半から騒がれたのが阪神の遠山奬志だ。高卒1年目に先発として8勝を挙げるが、以降は怪我と不調で長く低迷し、トレードや打者転向も経験。だが、1998年に阪神に復帰後、野村克也監督の下でサイドスローに転向すると、シュート&スライダーを武器に「松井秀喜キラー」として名を馳せた。

 遠山の通算成績を振り返ると、実働14年で393試合16勝22敗5セーブ、防御率4.38。ホールド数が設置されていなかったこともあって特筆すべき数字はない。だが、今でも多くの虎ファンが遠山の勇姿を覚えている。上述した左腕たちもしかり。令和の時代、記録的なことだけでなく、記憶に強く残るサウスポーの出現に期待したい。