殺された40代の長男と自分がダブって見えた。一方で殺人者となった父親への「どんなことがあっても殺してはダメだ」という批判も、薄っぺらく感じた。

 事件を受け、当事者団体や支援団体などがひきこもりへの偏見を助長するような報道を控えるよう声明を発表。しかし、そこに留まってはいけないとも感じると池井多さんは言う。

「自分は被害者になり得る。それだけじゃなく、加害者にもなり得ると感じます。誰だって凶暴な気持ちになることはあり、そういう意味では私だって犯罪者予備軍なのでしょう。実際に川崎事件の後は当事者仲間から、明日は自分があのようなことをしてしまうのではないかと不安でたまらないというメッセージがたくさん届きました。事件から時間を経た今だからこそ『清く正しく美しいひきこもりだけではない』ということを伝えたい。私が知る中にも、親が資産家でスポーツカーを乗り回し、派手なスーツを着て複数の女性を連れ歩くようないわゆる“道楽息子”もいますし、暴力的で壁は穴だらけ、両親もアザだらけという状態の家もあり、そういう人たちは当事者会にもなかなか顔を出しません。『今日殺すか、明日殺されるか』という極限の状態で悩んでいる人たちを黙殺せずに対応を考えていかなければいけない。犯罪者予備軍と、実際に犯罪を犯す人の間には千里の隔たりがあると思うのです」(池井多さん)

 池井多さんは、8050問題を当事者の立場で考える「ひ老会(ひきこもりと老いを考える会)」や、子の立場・親の立場から互いの本音をぶつけていく「ひきこもり親子 公開対論」などのイベントを開くほか、「GHO(世界ひきこもり機構)」という団体を立ち上げ、SNSなどを通してインタビューした世界のひきこもり当事者の声を発信をしている。この日もきちんと櫛でとかされた髪、清潔感のある半袖のシャツを羽織り、時折、含蓄あるジョークを織り交ぜながらゆっくりと語る様子は“部長の休日”風でさえある。3ヵ国語に堪能で、バイオリンとピアノもひける。「ひきこもり」と言われて違和感を覚えるのは、記者自身がステレオタイプなひきこもり像を持っていたからだろう。一口にひきこもりといっても多様である。それを体現するかのような存在だ。

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「外こもり」「ガチこもり」とは?