外出するのはハレの日だと言う、ぼそっと池井多さん。「ひきこもりに見えませんね、と言われるのを目指して昨日の夜から準備しました」(撮影/AERA dot.編集部・金城珠代)
外出するのはハレの日だと言う、ぼそっと池井多さん。「ひきこもりに見えませんね、と言われるのを目指して昨日の夜から準備しました」(撮影/AERA dot.編集部・金城珠代)
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 ひきこもり状態だった50代の男がスクールバスを待つ子たちの列に刃物を振り回し、20人を殺傷し自殺。その3日後、「運動会の音がうるさい」と苛立っていた40代のひきこもりの長男を、元事務次官の男が殺害した。川崎市と東京・練馬で連鎖するように起きた2つの事件から、もうすぐ1カ月が経とうとしている。ひきこもりや「8050問題」にこれほど注目が集まったことはこれまで無かっただろう。23歳から30年以上、断続的にひきこもり状態が続き、「ぼそっと池井多」という名前で活動する男性(57)は「事件から少し時間が経った今だからこそ、当事者として伝えたいことがある」と、自身の体験を語り始めた。事件から何を学ぶべきなのか。

*  *  *

 6月1日、ひきこもりの長男(44)を父親が殺害した――。そのニュースをテレビで見ながら、池井多さんの頭にふと浮かんだのは4、5歳ごろの家の中の風景だった。

「夕食は何を食べたい?」と母に聞かれ、「何でもいい」と答えた。

「じゃあ、ナポリタンスパゲッティーは?」

 うんとうなずく。こうやって聞いてくるときも、母の中には既に決まった答えがあることはわかっていた。食べたいわけでもなく、出されても食は進まない。それを見た母は怒って、平手で頬を数回叩かれた。「食べたくないなら食べなくていい」と、スパゲッティーは取り上げられ、シンクに捨てられてしまった。

 仕事から帰ってきた父に、母はうそをつく。

「この子が『こんなもの食えるか!』ってシンクに捨てちゃったのよ。お父さん、殴ってやって」

 台所の床に座らされ、背中を丸めて両腕で頭を抱えた。両親の顔は見えず、父親がズボンのベルトを抜くキュッという音がする。恐怖と屈辱の中、背中をベルトで数発打たれ痛みが走った。夕食のメニューに限らず、理不尽な“制裁”を受けることは日常だった。今振り返ると、あれは母が「あなたは誰を信じるの?」と父を試す踏み絵でもあった。手を下す父はどんな表情だったのだろう。何を考えていたのだろうか。

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「清く正しく美しいひきこもりだけじゃない」