到着したのは、「シェルター」という言葉のイメージからはかけ離れた、緑いっぱいの小高い丘に建つ明るいレンガ調の建物だった。携帯電話の電源を切って預ける。母娘3人に割り当てられた部屋は洗面台が付いている6畳一間の個室で、タンスや押入れ、布団もあった。3人分のタオルと歯磨きセット、洗面器を受け取る。

 ああ、生活に必要なものってこれだけなんだ。紀子さんは不思議な感覚だった。

「ここどこ?」と心配そうな娘に、

「ママもわからない。でも絶対にパパが来ない場所だよ」と話した。

 施設内には広い食堂があり、数日前に産まれたばかりであろう小さな赤ちゃんを連れた母親や、パジャマにサンダル姿で着の身着のまま来たと思われる女性、包帯を巻いている人、賑やかにテーブルを囲む若い女性たちもいた。みんないろんな事情を抱えているのだろう。それでも施設の職員たちは何も聞かずに受け入れてくれ、穏やかな空気が流れていた。

 娘たちと食べた夕食のハンバーグはびっくりするほど美味しかった。これまで、もう何日も食事が喉を通らなかったからだ。

 仕事の昇格試験に向けての準備をするために夫がマンスリーマンションで暮らし始めたすきに、「いま離れましょう」と言ってくれたのは同行してくれたケースワーカーだった。子どもたちの前ではつとめて平静を装いながら、児童相談所でDV証明を受け、病院で持病の薬をまとめて処方してもらい、紹介状を書いてもらうなど準備をした。貴金属や電動自転車など売れるものをすべて手放して現金化し、引っ越した先の住所に結びつきそうなものは子どもの通信教育まですべて解約した。「“引越し”をしたら行き先がわかってしまう」というケースワーカーの指示通り、荷物は宅配便でいったん実家に送った。その間に体重は普段より10キロ近くも減り、しばらくは病院で点滴を打ちながらの生活だった。(※編注=緊急度や事情によって、身辺整理を勧められないケースもあります)

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押入れで泣く娘「ママが怒られる」