なぜ5月5日に菖蒲湯に入るのか 「端午の節句」は一体どんな日? (1/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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なぜ5月5日に菖蒲湯に入るのか 「端午の節句」は一体どんな日?

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室橋裕和dot.
鯉のぼり(写真:Gettyimeges)

鯉のぼり(写真:Gettyimeges)

 5月5日は端午の節句、子どもの日。わが子の、とくに男の子の成長を祈ってお祝いをする日として親しまれている。

 そもそも「節句」とはなんなのだろうか。

 はじまりは飛鳥時代にさかのぼるともいわれている。四季折々の季節の区切りや節目に、宮中ではイベントが行われていた。天皇が貴族たちを集めて宴を張ったのである。これを節句と呼んだのだ。 かつては、天皇から「供」される宴であることから「節供」ともいったらしい。

 1月7日が新年を祝う人日の節句、3月3日は農作業のはじまりに合わせた上巳の節句、7月7日の七夕の節句はお盆を前にして先祖の服を織り、収穫の季節を迎える9月9日の重陽の節句では菊を愛でる。節句 とは日本人の生活と風習のサイクルに合わせた、まさに節目の日なのだ。

 そして5月5日、端午の節句の頃は、そろそろ暑くなり、湿気も出てくる時期。近づいてくるのは衛生状態の悪くなる梅雨だ。だからこそ、古代の日本人は清潔を保とうとしたのだという。山で薬草を採って、煎じて飲んだり、薬用酒をつくったりもした。その一環として、菖蒲を利用したのだ 。

 日本各地に広く分布する多年生植物である菖蒲には薬効があることを、古くから人々は知っていた。だから菖蒲酒を飲んだり、茎や葉を枕に詰めて眠ったり、風呂に入れて浸かったりした。独特の高い香気は魔よけの効果もあるとされ、玄関口に飾る習慣もあったそうだ。菖蒲には災いを祓う力があると考えられてきたのだ。だから端午の節句はいつしか、菖蒲の節句と呼ばれるようにもなっていく。

 室町時代以降、武士が力を持つ時代になると、なにごとにも勇ましさを求め、ゲンを担ぐ世になる。菖蒲は「尚武」という言葉の音と同じだからと、その意味まで重ねられたという。菖蒲の節句は「武芸に励み、精進する日」とされたのだ。そして「勝負」にもかけられ、競争ごとや争いに勝つことを願うようにもなったという。

 となれば当然、武士たちが思いを預けたのは自らの男児だ。息子が尚武し勝負に勝つように、尚武の節句に祈る。そのために武家は鎧兜を飾ってこの日を祝したのだ。その後、男児を象った五月人形も好まれるようになっていった。


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