新元号「令和」(撮影/田中将介)
新元号「令和」(撮影/田中将介)

 5月1日、いよいよ平成の世が終わり、令和の時代がはじまる。この新しい元号の名は、万葉集の歌から引用されたことが大きな話題となった。

 645年に制定された大化から平成まで、これまでの元号はすべて中国の歴史書や儒教の書物から引用してきた。しかし令和は歴史上初めて日本の古典である万葉集を紐解いたのだ(ただし「令和」が含まれる万葉集の一節は、後漢時代1~2世紀の政治家・学者である張衡の詩などの影響を受けているのでは、という指摘もある)。
 こんな話で世が沸いたのも、改元という歴史的な節目だからこそ。1400年ほど続く元号について改めて知るきっかけとなったのだ。

 そもそも、元号を中国の歴史書に依拠してきたのは、元号そのものが中国発祥だから。紀元前140年、前漢の7代皇帝・武帝が、自らの即位した年を「建元」元年と定めたのだ。これが史上初の元号となった。

 その後、中国の影響を受けた周辺国にも広がっていく。高句麗(現在の北朝鮮のある地域)では391年に「永楽」を、新羅(現在の韓国にあたる地域)では536年に中国と同じく「建元」を定め、元号制がはじまった。そして日本では中国から伝わってきた仏教や法律を参考に、645年に「大化」を制定した。ベトナムも970年に「太平」という元号を使い始めている。

 しかし西暦の世界的な普及とともに元号は使われなくなっていく。発祥の地であるはずの中国では1911年に清が滅ぶと元号も廃止に。朝鮮半島とベトナムは第2次大戦後の1945年にやはり廃止した。日本は変わらず、1400年ほど使い続けているのだ(台湾では中華民国成立の1912年を元年とする「民国紀元」が、北朝鮮では、金日成元国家主席が生まれた1912年を元年とする「主体暦が使われている)。

 日本では現在、天皇の代替わりに伴って元号が変わる。「代始改元」というが、これは明治以降に決められたもの。その前は、けっこう頻繁に元号は変わってきたのだ。

 とりわけ目立つのは地震や洪水など、大きな天災をきっかけにした改元。「災異改元」という。例えば1703年には死者6700人あまりを出した元禄地震が発生したが、このとき東山天皇は元号を元禄から宝永に変えた。元号を一新することに、厄祓いの意味を込めたのだ。

 災害大国だけあって、地震や大火、飢饉などがあるとよく元号は変えられた。1854年には、黒船の来航を災異と考えて嘉永から安政に改元しているのが、なんとも日本人らしいかもしれない。

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