■コンパクトカメラの多様化

 ブリッジカメラを別にしても、コンパクトカメラはズームレンズが装着されたり自動巻き上げ・巻き戻しの機能が組み込まれたりして、だんだん大型化していった。機能満載の肥大化した、もはやコンパクトとは言えないレンズ固定カメラへの反動として、レンズは単焦点とし、各種の自動化機能は確保しつつ、一気に小型化したカメラが登場した。コニカビッグミニ(89年)がそれである。沈胴式の35ミリ F3.5のレンズを備え、AF、AE、自動巻き上げ・巻き戻しの機能を備えながら横幅は120ミリを切るコンパクトなカメラに仕上げた。

 この路線は、ほかのメーカーも追随し、オリンパスμ(91年)やニコンミニ(93年)につながっている。

 一方でよいレンズを備えて高級感のある外観とし、一眼レフのサブカメラとしての使用にも堪えるような「高級コンパクトカメラ」と呼ばれるジャンルのカメラが登場している。この分野での元祖は京セラのコンタックスT(84年)だが、ユーザーに認知され始めたのは、その後継機のコンタックスT2(90年)からのことである。他社も追随し、コニカヘキサー(92年)、ニコン35Ti(93年)、リコーGR1(96年)、ミノルタTC-1(同)など、高価ではあるが高級感のあるカメラが登場した。中でもリコーGR1はシリーズ化して、デジタルカメラにもそのコンセプトが受け継がれている。

 また、平成の世では、パノラマ写真の流行があった。パノラマ写真といっても、35ミリ判の上下をカットして36×13ミリの画面サイズとし、横長のプリントを作るものである。従って通常の撮影に比べて画角が広がるわけではなく、プリントが横に長くなっただけのものだ。本来のカメラやレンズを振って撮影するパノラマ写真と区別するために、ハーフパノラマとも呼ばれた。

 発端はレンズ付きフィルムである。画面枠を36×13ミリとし、ラボで通常より横長の120×90ミリのプリントを作成するサービスを89 年にコダックが始めた。これが一般のカメラにも波及し、90年以降、一眼レフを含めて35ミリフィルムを使用する多くのカメラが、ハーフパノラマに対応した。

 このハーフパノラマのコンセプトは、次に述べるAPSフォーマットにもPサイズという形で影響する。

■新たなフォーマット

 1995(平成7)年、APSと呼ばれる新しいフィルムフォーマットが発表された。それまで新しいフィルムフォーマットは、ほとんど業界の盟主である米イーストマン・コダックが独自に開発していたのだが、このときはコダックのほかに日本のカメラメーカー3社(キヤノン、ニコン、ミノルタ)とフィルムメーカーの富士写真フイルム(現富士フイルム)の、計5社で協議して規格を定めた。

 24ミリ幅のフィルムを使うこのフォーマットの、最も大きな進歩は、フィルムの背面に透明な磁気コートを施し、そこに撮影データを磁気記録できるようにしたことだろう。そのデータはプリント作成時にその裏に印字される。撮影画面は30.2×16.7ミリで、そのままの縦横比(16:9)でプリントしたものをHサイズ、左右をカットして3:2の比率としたものをCサイズ、上下をカットした3:1のものをPサイズと呼び、いずれかを選んでプリントすることができる。

 このAPSフォーマットを採用したカメラは、各社から多くのモデルが発売された。形態もレンズ付きフィルムからコンパクトカメラ、ブリッジカメラ、そして一眼レフまでバラエティーに富んでいる。コンパクトタイプのものでは35ミリフィルムのカメラより小型になる点を生かしたものが多く、キヤノンIXY(96年)などが人気を博した。また、キヤノン、ニコンのAPS一眼レフは35ミリ一眼レフのレンズマウントを共用するものだったが、ミノルタは新たに専用のレンズマウントを起こしてベクティスS-1(同)を出した。ニコンは最初オーソドックスなプロネア600i(同)を出したが、後にユニークなデザインで女性をターゲットにしたプロネアS(98年)を出している。キヤノンのAPS一眼レフIX E(96年)は、視線入力機能を搭載したユニークな存在だ。

次のページ
アップルが出したデジカメ