JOMOカップを8月末に消化したら、次はいきなり9月7日の最終予選初戦・ウズベキスタン戦(東京・国立)。張り詰めた緊張感の漂うこの初戦を6-3で勝利し、翌週19日のUAE戦(アブダビ)を0-0で乗り切ったところまでは順調だった。しかし、28日の韓国戦(東京・国立)で衝撃的逆転負け(1-2)を喫したことで暗雲が立ち込める。続く10月のカザフスタン(1-1)、ウズベキスタン(1-1)のアウェー2連戦の最中には、加茂周監督の解任という一大事も起きた。監督経験のなかった岡田コーチが後を引き継ぎ、立て直しを図るも、グループ1位の韓国とは大きく水を空けられた。

 当時のアジア枠はわずか3.5。2組で争う最終予選は各組首位しか世界切符を得られず、2位はプレーオフに回ることになっていた。しかし、日本はカザフ・ウズベキ遠征直後の10月26日のUAE戦(東京・国立)を1-1で引き分けた時点では、自力2位の可能性も消滅。日本は絶体絶命の窮地に追い込まれたのだ。

 エースナンバー10をつける名波浩(現・磐田監督)も、蕁麻疹に苦しんだ中田も顔をこわばらせたまま、足早にスタジアムを後にする。そして少し遅れてエース・カズが姿を現して正面玄関を出た時、事件は起きた。

「何やってんだ。お前なんかやめちまえ。腹を切れ!」

 国立競技場の正門に殺到していた数百人のサポーターから次々と罵声が飛んだ。このヤジに怒ったカズが「オイ、ちょっと来い」と挑発的な態度を取ったことで一部のサポーターが暴走。ビンやカン、生卵が投げつけられ、つばまで吐かれる。しまいには、怒りが頂点に達した1人がパイプイスを持ったまま正門によじのぼって、カズ目がけて投げつける。幸いにも当たらなかったが、現場は想像を絶する混乱に陥った。

 当時は、我々取材者も選手バス前まで行って話を聞くことができた。筆者もカズのすぐ後ろにいて、サポーターに飛び掛からんとする一挙手一投足を目の前で見た。イス投げの直後には門を飛び越えてカズに飛び掛かろうとする暴徒も現れ、警察官や警備員が必死で制止するなど、現場はもみくちゃになった。カズも関係者に取り囲まれ「危ないですから、この場を離れてください」と強引に車に乗せられ、スタジアムを去っていく。取材者も「みなさんもここにいると危ないですから、建物の中に入ってください」と強い力で押し戻され、正面玄関には厳重にカギがかけられた。

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最終予選の関心の高さは現在のワールドカップを超えていた