今でこそ厳重なセキュリティー体制が敷かれ、選手と一般人や報道陣との接触が厳しく制限されているが、この頃はまだそういう危機管理意識が低かった。それが大騒動の一因だろう。ただ、当時は日本代表の勝敗に一喜一憂するサポーターがいかに多かったかを痛感させられたのも事実。当時の日本代表の注目度は極めて高く、最終予選の関心の高さは現在のワールドカップを超えていたかもしれない。

 最終的に日本はグループ2位を死守し、冒頭の『ジョホールバルの歓喜』へとつなげたわけだが、21年前の苦しみがなければ、その後の進化もなかっただろう。森保一監督が「日本の歴史を引き継いでいく」と語っているのも、自身が経験した『ドーハの悲劇』を含め、先人たちが味わった思いや経験を今に伝えたいという気持ちがあるからだ。98年生まれの堂安律(フローニンゲン)や冨安健洋(シントトロイデン)らにとっては、岡野のゴールも“おとぎ話”でしかないのかもしれないが、日本代表というのはそれだけ重みのある場所。そこは今の選手たちにも再認識してほしい。

 時代が変わり、日本代表の位置づけも変化したのは確かだが、代表の誇りや意地というのはどれだけ時間がたとうとも変わってはならないもの。そういう熱いものを胸に秘めた次世代のスターが数多く登場することを祈って、『ジョホールバルの歓喜』と同じ日に行われるベネズエラ戦を見てみたい。(文・元川悦子)