松坂をはじめ、かつてのライバルたちがプロで活躍し始めていた。大学卒業を機にドラフト指名を受けてプロ入りする同級生たちの話も伝わってきた。
なぜかしら、心が騒いだ。
「松坂世代、頑張っていたんですよね」
一度は眠らせたはずの野球への情熱に再び火がついたのは、京都成章時代のチームメートで、甲子園で田中の後ろ、4番を打っていた捕手・吉見太一の存在だった。
立命大から社会人のサンワード貿易でプレーを続けていたかつてのチームメートが2005年秋、ドラフト会議で3位指名を受けた。しかも、松坂のいる西武だった。
「吉見がプロに入ったタイミングでした。やっぱり、スポーツの仕事をしたいという気持ちが芽生えてきたんです」
そんなとき、大手スポーツメーカーの「デサント」が野球に縁のある人材を探しているのを田中は知った。
もう、じっとしてはいられなかった。
化粧品メーカーを退職した田中は2006年春、デサントに入社する。現在、デサントマーケティング部ベースボール販売課の一員として、中日、阪神、オリックス、広島、ソフトバンクのプロ5球団を担当。プレーヤーやチームの用具に関するサポートを行っている。
松坂がメジャーから復帰した2015年、田中と松坂が久々の再会を果たしたのはソフトバンクのキャンプ地・宮崎のグラウンドでのことだった。
「京都成章の他の選手はどうしてるの?」
「元気やで。担当なんで、またよろしくね」
ただ、野球界にまつわる仕事をしているゆえに、思うように投げられない松坂の情報がすぐに耳に入ってきた。
大阪が拠点の田中は、ソフトバンクの2軍本拠地・福岡の筑後までは担当とはいえ、なかなか足を運べなかった。
どうなんだろう? 大丈夫なんだろうか?
今年2月の沖縄・北谷キャンプ。中日のユニホームに身を包んでいた松坂の表情に、田中は“変化”を見て取った。
「なんか、顔が生き生きしていましたね」
同級生の予感通りに、松坂がマウンドに戻ってきた。
4月4日の巨人戦、同19日の阪神戦、そして、日本で12年ぶりの白星を挙げた同30日の横浜戦。田中は仕事を終えると、テレビのチャンネルを何度も替え、スポーツニュースをはしごして、松坂の雄姿を追いかけたという。
ただ、松坂の「復活」が語られると、田中が天を見上げるあの夏のシーンがニュースの冒頭に放映されることが多いのも確かだ。それを見た知人や友人から「また出てたよ」と声を掛けられることも、いまだにある。
「それも話のネタですね。でも、それはあいつが頑張ってくれているからなんです」
松坂大輔と全力で戦った夏があった。“最後の人”と呼ばれるのはその「証」であり、「誇り」でもある。
「次も、楽しみですよね」
田中が心待ちにする、松坂の今季4度目の先発は5月13日の巨人戦。2009年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)以来となる東京ドームが、その舞台になる。(文・喜瀬雅則)
(敬称略)
●プロフィール
喜瀬雅則
1967年、神戸生まれの神戸育ち。関西学院大卒。サンケイスポーツ~産経新聞で野球担当22年。その間、阪神、近鉄、オリックス、中日、ソフトバンク、アマ野球の担当を歴任。産経夕刊の連載「独立リーグの現状」で2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。2016年1月、独立L高知のユニークな球団戦略を描いた初著書「牛を飼う球団」(小学館)出版。産経新聞社退社後の2017年8月からフリーのスポーツライターとして野球取材をメーンに活動中。