ボンネット型特急電車「クハ489-501」と、保存会の事務局長を務める岩谷さん
ボンネット型特急電車「クハ489-501」と、保存会の事務局長を務める岩谷さん
車両の復元では、碓氷峠を越えられる車両の証しである「Gマーク」も再現した
車両の復元では、碓氷峠を越えられる車両の証しである「Gマーク」も再現した
往時の面影が残る車内。側面上部には、乗車位置案内板がずらりと並ぶ
往時の面影が残る車内。側面上部には、乗車位置案内板がずらりと並ぶ
車両の維持管理のための募金をすれば、運転室にも入れる
車両の維持管理のための募金をすれば、運転室にも入れる
お披露目会では、車両と共に有志から寄せられたヘッドマークの数々も展示された
お披露目会では、車両と共に有志から寄せられたヘッドマークの数々も展示された

 昭和、平成の時代に特急「白山」や「あさま」として東京・上野―長野―金沢間を駆け抜け、前に大きく突き出た流線形の“鼻”が特徴的な「ボンネット型特急電車」の車両を修復し、“地域のお宝”として生かそうというプロジェクトが、石川県小松市で進められている。鉄道史で一時代を築いたボンネット型特急電車の保存・活用に官民共同で取り組むケースは珍しく、注目を集めている。

【車内、運転席、Gマークなどの写真などはこちら】

 2018年4月29日、JR北陸本線の小松駅から北約300メートルにある「土居原ボンネット広場」では、修復作業を終えたばかりのボンネット型特急電車のお披露目会が開かれていた。昔懐かしいクリーム色と赤色の“国鉄色”に塗られた上野側先頭車両「クハ489-501」の周りや車内は、鉄道ファンや親子連れらでにぎわっていた。

 車両は、小松市が所有し、地元の保存会が維持管理を担う。さびや劣化が進み、ぼろぼろになっていた側面を修復し、再び塗り直した車両の前面には「はくたか」のヘッドマークが取り付けられ、横には、「白山」や「あさま」「能登」といった、ボンネット型特急電車ゆかりのヘッドマークが並べられていた。保存会の活動に賛同する有志から寄せられたものだ。

 4歳の男の子と訪れた小松市の会社員の30代男性は「歴史がある車両を修復、活用する取り組みは大賛成。子どもは新しいものに目がいきがちですが、古い車両にも興味を持ちます」と話す。

 クハ489-501などの489系特急型電車は、1971(昭和46)年から製造され、翌72年から主に特急「白山」「あさま」として使われた。旧国鉄・JRでは最大の難所といわれた信越本線の「碓氷(うすい)峠」の66.7パーミルの急こう配に対応するため、台枠や連結器の強化に加えて、峠を通過する際の動力となるEF63形電気機関車と連結運転できるようにしたのが特徴だ。

 東京―大阪間を走り、後の新幹線開発にもつながった旧国鉄初の特急電車「こだま」の151系の流れをくむボンネット型最後の車両でもある。

 その車両がなぜ、小松市で展示されているのか。クハ489-501は、最後は東京・上野―金沢間を走る急行「能登」として定期運行、2011年に大阪―金沢間の団体臨時列車としてラストランを終え、翌年に解体処理される予定だった。それを知った小松市が、車両を地域資源として保存・活用しようと、保有するJR西日本に譲渡を申し出たのだ。

 同市は建設機械メーカー「コマツ」誕生の地で、小松空港や航空自衛隊小松基地など航空機や自動車、バスなど乗り物の関連施設が多い。だが、電車の展示施設はなかった。車両を管理する「ボンネット型特急電車保存会」の事務局長、岩谷淳平さん(42)は「乗りもののまちづくりのため、小松に電車を持ってこられるラストチャンスだと思いました」と振り返る。

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