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巨人高橋にロッテ井口…「引退後即監督」はやはり困難なのか?

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巨人・高橋由伸監督 (c)朝日新聞社

巨人・高橋由伸監督 (c)朝日新聞社

 長きに渡るプロ野球の歴史の中で「現役引退、即監督」に就任した者は多くない。過去に選手兼任監督の経験があった者、そして選手兼任監督から専任監督になった者を除くと、これまでに8人しかいない。

 1人目は、1954年に国鉄の2代目監督となった藤田宗一。金田正一が奪三振の世界新記録を打ち立てた時期だったが、1年目に5位(55勝73敗2分、勝率.430)に終わると2年目も同じく5位となり、2年という短命政権に終わった。2人目は、西鉄の稲尾和久。言わずと知れた「神様、仏様、稲尾様」の鉄腕は、専任監督としては最年少となる32歳で「引退即監督」に就任したが、1年目の1970年に6位(43勝78敗9分、勝率.355)に終わると、2年目、3年目も勝率3割台での6位。黒い霧事件で主力を失った影響が大いにあったとはいえ、4年目、5年目も4位と手腕を発揮できぬまま解任となった。

 “ミスター”長嶋茂雄も苦しんだ。「我が巨人軍は永久に不滅です」の名台詞を残した後に39歳で引退即監督に就任して大きな期待と注目を集めたが、1975年の就任1年目は主力の衰えにチーム全体の方向性も定まらず、球団創設以来初の最下位(47勝76敗7分、勝率.382)に低迷。翌76年、続く77年と2年連続リーグ優勝を果たしたが、ともに日本一を逃すと、4年目以降は2位、5位、3位と不完全燃焼。長嶋批判が渦巻く中、最後は事実上の解任という形で後を追われた。

 それと同じ時期、南海で「鷹の爪」と呼ばれた広瀬叔功も41歳で引退即監督に就任し、野村克也前監督からの脱皮を図ったが、チームは機能せず。1年目に6位(42勝77敗11分、勝率.353)に終わると、2年目以降も勝率3割台での5位、6位に沈んで退任した。同じく、ロッテ一筋18年で「ミスターロッテ」と呼ばれた有藤通世も引退直後の40歳で監督に就任したが、弱体化するチームの流れを変えられずに1年目の5位(51勝65敗14分、勝率.440)から6位、6位と低迷して3年で辞任に追い込まれた。



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