大西はその後、関西の名門・近大に進み、2002年のドラフト7巡目指名で近鉄(現オリックス)に入団する。プロに進むまでの4年間、大西が常にイメージしていたのは「松坂大輔」という、偉大なる同級生の存在だった。

「プロに行く。それにプラス、松坂大輔のストレートを打つことだけイメージしていました。もっと言えば、ホームランを打つ。それだけを目指していました」

 大西のプロ2年目、2004年に迎えた、松坂との“プロ初対戦”。そのとき、18・44メートル先のマウンドに立つ松坂と、何かがシンクロしたかのような気がしたという。

「あうんの呼吸ってやつですよね。真っすぐオンリー。それでしか来ない。なんか、そういう感じだったんですよ」
 
 6年ぶりの対決。その予感通り、そして、あの夏とは違った。

 松坂は、カーブを投げなかった。ストレートを捉えた。

「めっちゃええ、センター前ヒットでした。僕の中でも、会心でした。それでもう、目標を達成してしもたんです」

 大西は、そう言って笑いながら、両手の手のひらを見つめた。

「今も、あの感触が残っていますね」―。

 松坂大輔を目標に、松坂大輔だけを見据え、ひた走ってきた9年間のプロ生活を終えた大西は、2012年4月、大阪・心斎橋に自らがオーナーを務める焼肉店「笑ぎゅう」を開店した。

 当時、メジャーのレッドソックスに所属していた松坂に連絡を取ると、早速、国際便の小包が大西の元に届いた。

 入っていたのは、レッドソックスでのユニホーム。店内のガラスケースの中に、その「松坂のユニホーム」が、常に展示されている。

 それは、大西宏明という野球人が、松坂大輔という“最高のライバル”と戦い続けてきたという、確かな証でもある。

 越えたくても、越えられなかった。

 「あいつは、負けてはいけない存在なんです。それは『松坂大輔』でいることなんです」

 2度の手術。ソフトバンクでの3年間で、1軍登板はわずか1試合。松坂の築き上げてきた栄光を思えば、その落差は激しい。それでも、マウンドに戻りたい。現役にこだわろうとする同級生の姿に、大西は共感するのだという。

次のページ
「最後まで野球をやってほしいんです」