俺には、投げてへん……。

「古畑に対して、松坂の“ギアの入り方”が違っていたんですよ。僕、それが、悔しかったんです」

 試合の中で、投手は“アクセント”をつける。

 ここで、こいつを抑えておかないと、相手のチームが勢いづいてしまう。そうしたキーマンを、全力で抑えに行く。その一方で、言葉は乱暴だが、下位打線には、ある意味、手を抜いて流すのだ。

 4番の古畑を止めれば、PLは戦意を喪失する。勝負どころとみた松坂は、古畑に対して“本気の直球”を投げていたのが、大西には分かったのだ。

「11回は、それまでと、全然違う球だったんです。すごかったですよ」

 古畑は、松坂の前に、6打数ノーヒット。完璧に封じ込められていた。古畑の三振で、2死二塁となった。

 5番・大西が凡退すれば、その瞬間に試合が終わる。まさに絶体絶命の場面だ。その投手心理、バッテリーの思い。大西には、それがくっきりと見えていた。

「古畑に集中しすぎたんでしょうね。松坂が気を抜いたんじゃなくて、捕手の小山(良男・現中日スカウト)が、ちょっとホッとしたんでしょ? 初球、またカーブでした」

 2回、7回のヒットも、いずれもカーブを打ったものだったと、大西は振り返る。

「だから、ストライクを取りに来たカーブなんですよ」

 大西は、実はカーブを打つのが得意だった。そのデータは横浜ベンチにも浸透していたという。時がたって、松坂を育てた当時の横浜高部長・小倉清一郎の著書の中で「大西はカーブに要注意」と記されているのを見て、大西はうれしくなったという。

 そのデータを無視したのか。いや、おそらく違うだろう。カーブに食いつかせておいて、ストレートかスライダー。松坂の真骨頂でもある“真っすぐ系”で仕留めるという算段だったのだろう。

 ところが、そのカーブを、大西は三度とも、見事に仕留めた。打球は、レフト前へ。

 6-6の同点。試合はまたも振り出しに戻り、延長17回の激闘へとつながっていくのだ。

 大西は「カーブ3球」に関して、プロ入り後に松坂と、そして小山とも話し、振り返ったことがあるという。

「あの時、マウンドで初めて、松坂は小山に怒ったって聞いたんですよ」

 大西は、その年の春のセンバツでも、松坂から2本のヒットを放っていた。その記憶は鮮明だ。

「スライダーをたまたま打ったのと、ストレートに、ぐちゃぐちゃに詰まって、ハーフライナーで内野の頭を越えたヤツですよ。だから、会心のヒットって、ないんです。5本打ってるのにね」

 夏の3本も、いずれもカーブ。

 それが、大西には物足りなかった。いや、むしろ、寂しかったのだ。本気で、来てくれないんだな―。

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松坂との“プロ初対戦”