郵便局ごとで図案が異なる風景印。太宰の命日を「桜桃忌(おうとうき)」ということから、三鷹下連雀四局の太宰治の印に、サクランボの切手を合わせて楽しむ(古沢さん提供)
郵便局ごとで図案が異なる風景印。太宰の命日を「桜桃忌(おうとうき)」ということから、三鷹下連雀四局の太宰治の印に、サクランボの切手を合わせて楽しむ(古沢さん提供)
街の景色が変わり、風景印の図案が変更されることも。向島局の図案は、向島百花園(左)から東京スカイツリーへと変わった(古沢さん提供)
街の景色が変わり、風景印の図案が変更されることも。向島局の図案は、向島百花園(左)から東京スカイツリーへと変わった(古沢さん提供)
枠の形にも意匠を凝らした「変形印」もある。立山連峰と売薬商人が描かれた、富山駅前局の風景印(古沢さん提供)
枠の形にも意匠を凝らした「変形印」もある。立山連峰と売薬商人が描かれた、富山駅前局の風景印(古沢さん提供)
パンダの赤ちゃん、シャンシャンが話題の上野動物園近くにある上野局の風景印はパンダ。パンダの切手やご当地フォルムカードと合わせて(古沢さん提供)
パンダの赤ちゃん、シャンシャンが話題の上野動物園近くにある上野局の風景印はパンダ。パンダの切手やご当地フォルムカードと合わせて(古沢さん提供)
昭和の時代は切手集めと同様に、風景印集めも少年たちの心を引きつけた。1973年9月号、74年4月号では風景スタンプが特集されている
昭和の時代は切手集めと同様に、風景印集めも少年たちの心を引きつけた。1973年9月号、74年4月号では風景スタンプが特集されている

 はがきや封筒に貼られた切手に、ポンと押された鳶(とび)色の消印。よく見るとそこには、その土地々々の風景が描かれている……。

【古沢さんの風景印コレクションはこちら】

 全国各地の郵便局のご当地印、「風景印(風景スタンプ)」が根強い人気だ。風景印の正式名称は、「風景入り通信日付印」。郵便局名と押印した年月日、地域の名所や旧跡、記念物などが描かれている。

 子どものころ夢中になり、大人になって再開した人だけでなく、最近では女性にも人気で、ハマる人が続出しているとかいないとか……。何が人をひきつけるのだろうか? その魅力を探った。

 風景印の図案は、郵便局ごとに異なる。例えば東京スカイツリー(東京都墨田区)は、向島局や本所吾妻橋駅前局、浅草局などで図案に使われているが、向島なら桜橋モニュメント、本所吾妻橋駅前は吾妻橋と屋形船、浅草は浅草寺の雷門と、それぞれ違う地域のシンボルを組み合わせている。

 枠の形にも意匠を凝らした「変形印」もある。大阪中央局(大阪市北区)の風景印は、バラをかたどった枠内に、大阪城や通天閣、水晶橋が描かれている。薬売りで有名な富山県富山市の富山駅前局の風景印は、名物・鱒(ます)寿司の包装を外枠に、立山連峰と売薬商人が配置されている。

 風景印の歴史は古い。1973年発行の少年向け切手誌「スタンプマガジン9月号」の特集「風景スタンプの集め方」によると、風景印はもともと、各郵便局がある地域の名所や旧跡、名産品などを広く紹介し、観光宣伝に役立たせるために作られたという。

 1931(昭和6)年7月10日に、富士山頂局と富士山北局で使われたのが始まりだ。それから徐々に各地の郵便局に広まり、37年には1000局を超える郵便局で使われたが、第二次世界大戦の影響で40年、すべての使用が中止されてしまった。

 しかし、終戦後の48年に復活。再び全国各地の郵便局が採用するようになっていった。世界各地の郵便切手や郵便制度の調査・研究などを行う公益財団法人、日本郵趣協会によると、2017年1月時点で、全国約1万1200局で風景印を取り扱っている。

『風景印かながわ探訪“郵便局のご朱印”を集める、歩く、手紙を出す』(彩流社)などの著書があり、自身も風景印集めを楽しむフリーライター、古沢保さん(46)は、その魅力の一つとして「街のことを知れること」を挙げる。

 古沢さんは、これまでに東京23区や横浜、川崎など関東地方の郵便局を中心に回り、風景印を集めてきた。どちらかというとインドア派だが、テレビ番組の企画で、夏山シーズンの年間約40日しか開設されない富士山頂局(静岡県)で風景印を押してもらうために富士山登山にも挑戦。「風景印のおかげでいろいろなところに連れて行ってもらっているな」と感じるそうだ。

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