2006年6月9日に行われた阪神戦でホームランを放った松坂(西武時代)  (c)朝日新聞社
2006年6月9日に行われた阪神戦でホームランを放った松坂(西武時代)  (c)朝日新聞社

 いよいよ大谷翔平が海を渡る。プロ入り当初は懐疑的だった“二刀流”への眼を、自らの手で大きく変えた上でのメジャー挑戦になる。だが、そもそも高校年代までは「4番でエース」が全国の至るところで存在し、現役選手だけを見ても、イチロー、松井稼頭央、中田翔、村田修一、亀井善行、堂林翔太らは高校時代にはエースとしても活躍。投手としてドラフト指名された後に野手に転向した選手には、糸井嘉男、雄平、木村文紀などがいる。そんな“元投手”たちは、あるタイミングで投手として力の限界を感じ、あるいは怪我などで方向転換を“強いられた”のだ。その事実と大谷の成功例を掛け合わせると、プロで“二刀流”を続けるためには、まず「投手」として1軍レベルに達していることが条件になるだろう。

 その一方で、投手としてプロで結果を残しながら、野手としても高い能力を持っていた選手は多くいた。1990年代以降に限定し、そんな「二刀流になれた可能性があった投手」を探してみたい。

■桑田真澄
 まだ巨人戦が地上波ゴールデン枠で放送されていた90年代、「打てる投手」と言えば桑田真澄だった。PL学園高時代にはエースとして躍動すると同時に打者としても高い能力を発揮。高校通算25本塁打を放つとともに、甲子園では清原和博に次ぐ歴代2位タイの6本塁打をマークした。その打撃はプロの舞台でも発揮され、プロ通算890打数で192安打の打率.216、7本塁打、79打点をマークした。フィールディングの良さも際立っており、体格的には恵まれなかったが、野球センスは群を抜いていた。

■川上憲伸
 桑田の7本塁打を上回り、NPB通算8本塁打を放ったのが、中日のエースとして一時代を築いた川上憲伸だ。徳島商高時代は「4番・エース」として3年夏(1993年)の甲子園で8強進出。明治大を経てプロ入りすると、いきなり14勝を挙げるとともに豪快なスイングで初本塁打も記録。計8本塁打の中には、右方向への流し打ちでの一発も含まれる。当たった時の飛距離は野手顔負けで、豪快なフォロースルーでの特大アーチも。スラッガーとして育てることも十分に可能だっただろう。

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