「実はこの番組は、面白かったらオンエアするとだけ言われていたので、テレビで放送されていることは懸賞生活をしている間は知らなかったんです。それに、僕の父は実は警察官なんですよ。だから、逃げたいがために、もし裸のまま部屋を飛び出していたらとんでもないことになる。だから、それだけは出来なかった」

 そんな追い込まれた状況下で、孤独や空腹、恐怖や不安など様々な感情と戦いながらも、最後まで白旗を上げずになんとか目標金額100万円に達したなすびさん。その原動力は、一体なんだったのか?

「なんだったんでしょうね。自分しか出来ないことだったからかもしれませんね。後は、意地かな」

 淡々と答えるなすびさん。その後、懸賞生活が終わると、電波少年のメンバーとの交流は特になかったという。しかし、チューヤンが結婚することになり、香港まで行くことになった。その式場で、なんと同じテーブルに番組のTプロデューサーと司会の松本明子さんがいたのだという。そこで久々の再会を果たしたのだ。

「懸賞生活以来、きちんと会うのは初めてで、緊張して正直何を話したかを覚えていないんです」とその時のことを振り返るなすびさん。

 懸賞生活を「トラウマ」と言い切るなすびさんだが、この番組のおかげで逆境に強い人間になったのもまた事実だと自負する。

 そしてこの懸賞生活での経験が、皆さんの記憶に新しいエベレスト登頂への挑戦に繋がっていく。

「地元の福島県が東日本大震災で被災した。当初は、復興支援が行われていたが、月日が経つにつれ、風化していく現状。それに、追い討ちをかけるように風評被害。なんとか、福島県の人たちを勇気付けたいと思ったんです。その後に映画の撮影で四国に行き、その縁で四国八十八ケ所お遍路巡りを行なったんですが、山を登るペースが早いと、地元の人たちに絶賛されたんです。それで登山を進められ、エベレストに繋がったんです。エベレストを登頂すれば、インパクトがあるし、福島県民により多くのエールや勇気を与えられるんじゃないかと考えたんです。でも、当初は売名行為だと散々周りに叩かれましたよ。登山もしたことのない奴がなんでエベレストなんだって」

次のページ