エリック・クラプトンが2016年に発表したアルバム『アイ・スティル・ドゥ』
エリック・クラプトンが2016年に発表したアルバム『アイ・スティル・ドゥ』
大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など
大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など

 年齢と健康面の問題から、もう来日ライブはないだろうと言われてきたエリック・クラプトン。しかし、最近ではファンの前で元気な姿を見せることも増えてきたという。来日の可能性について、音楽ライターの大友博さんが語る。

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 エリック・クラプトンの、現時点での最後の日本公演は、2016年月に行なわれている。前年の3月30日、70歳になった彼は、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールとニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで記念コンサートを行なったあと、大物プロデューサー、グリン・ジョンズと組んで力の入ったアルバム『アイ・スティル・ドゥ』を完成させ、発表を前に来日。日本武道館だけで5回、ステージに立っている。

 あとになって腕や脚に痛みを抱えていたことがわかるのだが、ルーツ・ミュージック系の弦楽器奏者ダーク・パウエルを大きくフィーチュアしたバンドと意欲的なライヴを聞かせ、初日には休暇で日本滞在中だったエド・シーラン(46歳下!)が飛び入りするという話題も残した。

 この16年の5回を含めると、これまでの計21回の来日公演を通じてクラプトンはなんと91回も武道館コンサートを行なってきた。武道館が使えなかった年があり、また、ジョージ・ハリスンとの来日時はドーム中心だったという事情もあるが、それでもこれだけの数字を積み上げてしまったわけだ。

 そのうち、たとえば『アンプラグド』と「ティアーズ・イン・ヘヴン」の大ヒットによって一気にファンが広がった直後の1993年は8回、デレク・トラックス/ドイル・ブラムホールⅡとのトリプル・ギター編成で臨んだ06年には10回も、あの八角形の巨大な空間をオーディエンスで埋めてしまっている。

 ロイヤル・アルバート・ホールはクリームの解散公演と再結成公演の会場であり、80年代後半からはそこで、ほぼ恒例行事として長期の連続公演を行なってきた。マディソン・スクエア・ガーデンは北米ツアーのいわば拠点。71年のコンサート・フォー・バングラデシュや92年のボブ・ディラン30周年といった歴史的イベントでもそのステージに立っている。東京・九段の武道館はクラプトンにとって、世界的に名の知られたその2つの会場と肩を並べる存在でもあったのだろう。もともとは武道のためのものであった会場の音響環境の向上にも、間違いなく貢献してきたはずだ。

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大友博

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大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中

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