「もし、こいつを不幸にしたら俺が許さない。俺の妹だからな」

 結婚後も、元不良少年と妹分の交流は続き、その関係はいつしか互いの家族ぐるみのものとなる。そして互いの配偶者と子どもたちからは、「もし何かあっても“あの人”がいるから……」と奇妙な“お墨付き”を得るほどになる。その時になって、元不良少年と妹分は、長年、互いに秘めていた淡い感情を自覚した――。

 幼なじみの異性と互いに結婚後も交流を持ち続ける。もちろんそこに男女を意識することもない。あるのは「情」だけだ。

 だが、若いうちこそ、その情には、〈友〉という言葉しか上につかない。この男女間の《友情》は年を重ねるに連れて〈愛〉が加わってくる。そして、《愛情》へと変化する。

 そこにはやがて〈恋〉という要素が、みずからも気づかないうちに入っていく――情を軸としつつ、〈愛〉に〈恋〉が加わって、その関係は本人たちが自覚する、しないを問わず《恋愛》へと成熟している――こうしてみると、確かに、わたしたちの周りには“セカパ”と言うべき関係は、ごく自然な形で身近に存在しているのかもしれない。

『友達以上、不倫未満』の著者・秋山謙一郎氏は言う。

「結局、男女の関係とは、婚姻という法制度で縛れるものでもなければ、セックスで愛情が深まるものでもない……と、いうことなのでしょう」

 何物にも縛られない〈愛〉で結びついた男女が行き着くところは、婚姻でも、セックスでもなく、ただ、互いを慈しむ心、それさえあればいい――今、話題の〈セカンド・パートナー〉という社会現象をみるにつけ、そう思わずにはいられない。