時代劇映画が作られにくくなっていた1970年代、錦之助は活動の場をテレビと舞台に移行させつつあった。「春の坂道」は錦之助にとって、「真田幸村」に続く連続時代劇ドラマで、「テレビスタジオにも不慣れなので、少し不安でした」と語っている。

 劇団雲の会員だった松本さんにとって忘れられない思い出はたくさんあるが、宗矩の父・柳生石舟斎役で出演した師ともいえる芥川比呂志との共演もそのひとつだ。

「柳生の里へロケに行ったとき、錦之助さんと芥川さんの酒席に同席させられたことがありました。お二人とも大変な酒豪とは聞いていましたが、そのあまりの酒量の凄さに圧倒されました。最後はさすがの芥川さんも『もう自分の部屋に帰させてください』と退出。本当に凄い酒席でした」

 東映時代から酒豪として鳴らした錦之助だが、役に取り組む真摯さも徹底していた。“将軍指南役”という日本一の剣士に成りきるために剣道教師について居合い術を基本から学び、真剣での稽古に全神経を集中。宗矩に関する資料はすべて手元に置き、読みふけったという。

「春の坂道」の視聴率は21.7パーセントで成功とはいいがたいが、錦之助という大スターのその後の道を切り拓いた番組としての意義はあった。ただ、現存する映像は最終回のみ(しかもモノクロ映像)だから、その意義を後世に伝えることができないのは残念というしかない。(文/植草信和)

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植草信和

植草信和

植草信和(うえくさ・のぶかず)/1949年、千葉県市川市生まれ。キネマ旬報社に入社し、1991年に同誌編集長。退社後2006年、映画製作・配給会社「太秦株式会社」設立。現在は非常勤顧問。

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