こう断言できるのは、いま起きていることは私が過去に見てきたことの再現だからだ。かつて電子計算機は大量の計算をしたい特殊な人たちのものだった。人類の大半には、電子計算機など縁遠い存在だったのだ。ところが、電子計算機ではなくコンピュータと呼ばれることが増え、個人が手軽に使えるパーソナルコンピュータ(パソコン)と呼ばれるジャンルが登場すると、それまでは電子計算機とは無縁だった職場へのパソコンの導入が始まった。

 そのときに「おれはこういう機械は嫌いだ」と嘯いていた人たちが職場で厄介者扱いされるようになり、あらゆる職場でパソコンが当たり前のように使われるようになるまで15年も経たなかった。

 AIやロボットについても、パソコンで起きたのと同じような現象が起こるだろう。ただ、まったく同じではない。あの頃よりももっと早く、AIやロボットは、どんな分野の仕事をしている人にとっても当たり前になる。科学、そして技術の進化は加速しているからだ。それに置いて行かれたくなければ、それなりのスピードが求められる。だからこそ、理系脳が必要なのだ。

 理系脳の持ち主には、理系学部で学んだ人も、文系学部で学んだ人もいる。理系学部で学んだからといって、理系脳とは限らない。

 もう少し詳しく野村総研のレポートを見てみると、そこには「代替可能性が高い100種の職業」と「代替可能性が低い100種の職業」もまとめられている。

 私の目には、「代替可能性が高い100種の職業」、すなわちAIやロボットに奪われる仕事は、ありふれた言い方をすればクリエイティブではなく、「代替可能性が低い100種の職業」、これもありふれた言い方をすればクリエイティブということだ。同じ感想を抱く人も多いだろう。

 これをふまえると、私の目には、クリエイティブな仕事に就いている理系脳の持ち主は安泰に映る。新しいものに貪欲に触れ、消化し、自分のものとしていくだろう。

 一方で最も危険なのは、クリエイティブではない仕事に就いている文系脳の持ち主だ。

 クリエイティブな仕事をしている文系脳と、クリエイティブではない仕事をしている理系脳はいい勝負をするかもしれないが、後者に軍配を上げたい。なぜなら、理系脳でありさえすればクリエイティブな仕事に転じることはそう難しくないからだ。そして、文系脳でありながらたまたまクリエイティブな職業に就いていた人から、AIやロボットに負けじと仕事を奪えばいいのである。

 しかし、文系脳の持ち主も恐れることはない。じつは理系脳は今日から、たいした努力をしなくても、自分の力で手に入れることができる。文系の教育しか受けてこなかった人も恐れることはない。商学部出身の私が言うのだから間違いない。

 さあ、文系学部出身者も理系学部出身者も、サバイバルのために理系脳を手に入れよう。

※野村総合研究所「国内601種の職業ごとのコンピューター技術による代替確率の試算」NRIとオックスフォード大学オズボーン准教授、フレイ博士の共同研究。本試算はあくまでもコンピュータによる技術的な代替可能性の試算であり、社会環境要因の影響は考慮していない