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元SEALDs 諏訪原健「僕が頭をガツンと殴られた戦争論」

連載「20代の処方箋」

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dot.#諏訪原健
諏訪原健(すわはら・たけし)/1992年、鹿児島県鹿屋市出身。筑波大学教育学類を経て、現在は筑波大学大学院人間総合科学研究科に在籍。専攻は教育社会学。2014年、SASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)に参加したことをきっかけに政治的な活動に関わるようになる。2015年にはSEALDsのメンバーとして活動した

諏訪原健(すわはら・たけし)/1992年、鹿児島県鹿屋市出身。筑波大学教育学類を経て、現在は筑波大学大学院人間総合科学研究科に在籍。専攻は教育社会学。2014年、SASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)に参加したことをきっかけに政治的な活動に関わるようになる。2015年にはSEALDsのメンバーとして活動した

 戦後72年にあたる今夏もまた、8月15日に終戦記念日がやってくる。元SEALDs諏訪原健さんはこの日を前に、夏休みの宿題で「戦争」をテーマに作文を書いたことを思い出したという。

*  *  *
 小学校高学年くらいの頃、夏休みの宿題で「戦争」を題材に作文を書くことにした。予科練だった祖父に戦争体験を聞いて、「戦争」について感じたことをまとめていったのだが、締めの言葉が思いつかない。考えることに疲れた私は、とってつけたように、次のような文を書いて作文を完成させた。

「たくさんの人々の尊い犠牲の上に、今の平和があることを忘れずに生きていきたい」

 どこかで聞いたことのあるような、ありふれた言葉だった。それでも随分と高尚な作文が書けた気がして、自分としては満足だった。何より夏休みの宿題を終わらせることのほうが重要だった。

 そんなこだわりもなく書いた文章が、長きにわたって、私の思考様式として頭に染み付いていた。「たくさんの人々の尊い犠牲の上に、今の平和がある」というのは、私にとってはごく当たり前のことだった。しかしその考え方は、「戦争」について知ろうとすればするほど、もろくも崩れていくことになる。

 きっかけのひとつは、2016年11月に沖縄・読谷のガマを訪れたことだ。83人もの人が「集団自決」に追い込まれたガマに目を凝らしながら、ここにいた人々に思いを馳せる。それぞれの人にかけがえのない人生があったはずだ。もっと生きたいと強く願いながらの死だったかもしれない。考えれば考えるほど、「みなさんの尊い犠牲のおかげで、今の平和があります」なんて言葉で片付けることなど到底できないと思った。

 翌月、中国・南京の大虐殺記念館に足を運んだ。「万人坑」と呼ばれる場所には、殺害された人々の遺骨が無造作に折り重なっている。中にはまだ子どもと思われるものもある。遺骨を見ながら、私は「たくさんの人々の尊い犠牲の上に、今の平和がある」という言葉を思い返していた。彼らも「戦争」によって命を奪われたことに変わりはない。しかし自らが「尊い犠牲」という言葉を用いる時、この人たちのことが抜け落ちてしまっていたのではないか。そう考えると、遺骨に目を向けているのがつらくて仕方なかった。

 帰国してからしばらく経って、伊藤智永さんの『忘却された支配』という本を手にとった。この本の中で、伊藤さんは、「戦争犠牲者は戦後の平和と繁栄の礎だった」とする言説を「礎論」と名付けて批判する埼玉大学の一ノ瀬俊也教授の知見を用いながら、次のような言葉を綴っている。


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