新渡戸稲造氏 (c)朝日新聞社
新渡戸稲造氏 (c)朝日新聞社

 大正時代の代表的なベストセラーに新渡戸稲造の『武士道』があります。原書は英語で、外国人に日本人の謙譲の精神や四季を愛でる心を紹介したものです。そして、あまり知られていないベストセラーに、同じく新渡戸が著した『一日一言』があります。1年366日分の名言を新渡戸自身が編著となって編んだもので、「誠実であること」「正々堂々」「利他」などがいかに大切かなど、滋味ある言葉がならんでいます。

 たとえば、

■3月13日「えせもの」

「いいきみだ」というのは他人の不幸を喜んで口にする言葉だ。この言葉が湧き出してくる場所は、なんとせせこましく、ふけつな泥がたまったどぶ穴だろう。人を詛(のろ)わば穴二つ、ということわざがある。人が禍にあえばよいと願う心は、そう思った瞬間に、すでに自分自身に禍を及ぼしている。そんなことに気づかないのでは、頭の程度が幼児にもおとると言わねばならぬ。

 えせものは 人の嘆きを喜びて
 善きを聞いてはそねむなりけり
(朝日新書『武士道的一日一言』より)

 内容もさることながら、なかなか過激な言葉遣いに目を奪われますが、大正時代の多くの日本人が、このような正義感にあふれた内容の本を読んでいたと思うと背筋が伸びます。

 さて、この正義感には、日本人の食生活も関わっていたかもしれません。

 脳研究者の池谷裕二さんは、毎日、何十という世界の最先端の論文に目を通し、我々に興味深い知見を伝えてくれます。週刊朝日7月28日号の池谷さんの連載「パテカトルの万脳薬」も興味深い内容でした。リューベック大学のパク教授らの論文によると、炭水化物は血糖値だけでなく「心」にも作用して意思決定に影響を及ぼす。結果を簡単にいうと、「炭水化物を多く摂取すると、正義感が強くなる」というものでした。しかも、食習慣にかかわらず、1回の朝食メニューでも正義感が変わるというのです。

 江戸の昔から、海外に比べて、日本人の炭水化物の摂取量はとても多いものでした。大正時代では、ほとんどの家庭で朝食にはお米(ごはん)を食べていました。炭水化物を摂っていた市井の日本人の正義感が強くなったから『一日一言』のような本がベストセラーになったのかはわかりません。ただ、近年のダイエットブーム、特に「炭水化物抜きダイエットブーム」によって、日本人の正義感が減退しているのだとしたら……。われわれ一般の者のみならず、「選良なる人たち」の不祥事などを見るにつけ、考えてしまいます。

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