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あの北大路欣也の子役時代とは? 「竜馬がいく」共演者・二木てるみと60年前のアサヒグラフに

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北大路欣也さん (c)朝日新聞社

北大路欣也さん (c)朝日新聞社

二木てるみさんが表紙を飾った「アサヒグラフ別冊 陽春特大号 映画と演芸」(昭和32年3月25日号)

二木てるみさんが表紙を飾った「アサヒグラフ別冊 陽春特大号 映画と演芸」(昭和32年3月25日号)

二木てるみさん(◯で囲った右側)と北大路欣也さん(同左側)が一緒に映るページも。「アサヒグラフ別冊 陽春特大号 映画と演芸」(昭和32年3月25日号)より

二木てるみさん(◯で囲った右側)と北大路欣也さん(同左側)が一緒に映るページも。「アサヒグラフ別冊 陽春特大号 映画と演芸」(昭和32年3月25日号)より

「日本の子役」というカラーページでは伝統芸能から映画、歌、テレビ、ラジオなどの分野で活躍する子役たちが集まっていた。「アサヒグラフ別冊 陽春特大号 映画と演芸」(昭和32年3月25日号)より

「日本の子役」というカラーページでは伝統芸能から映画、歌、テレビ、ラジオなどの分野で活躍する子役たちが集まっていた。「アサヒグラフ別冊 陽春特大号 映画と演芸」(昭和32年3月25日号)より

 昨年7月、進学情報サイト「JS日本の学校」が「高校生が好きな歴史上の人物」というアンケートを実施(回答者数:348名)、1位が織田信長(95名)、2位が坂本龍馬(47名)、3位が徳川家康(41名)という結果を発表した。

【写真】60年前のアサヒグラフに掲載された北大路欣也さんはこちら

 中高年のそれと代わらないベスト3だが、「日本のために世界をみて奔走したところ。彼がもし生きていたら今の日本は変わっていたと思う(高3・長野県・女子)」という龍馬の選出理由がいかにも高校生らしくて微笑ましかった。

 今年はその坂本龍馬没後150年(1836~67)に当たり、昨年は京都で、今年は東京で「没後150年 坂本龍馬」展が開かれた。10月の京都国立博物館では9万8千人、4月の江戸東京博物館では11万6千人が来館、関係者の予想を上回る盛況さに改めて日本人の坂本龍馬への関心の強さをしらされた。

 先月23日付けの朝日新聞は、「作家の司馬遼太郎(1923~96)の代表作『竜馬がゆく』最終回と『坂の上の雲』第1回の自筆原稿が見つかった」と報じ、久々に「竜馬がいく」のタイトルがメディアに登場した。

「竜馬がいく」は、司馬遼太郎氏が産経新聞夕刊に1962年6月21日から1966年5月19日まで連載した歴史小説。氏を国民作家に押し上げた原点ともいうべき作品だ。

「竜馬がいく」はたびたびドラマ化され、単行本5巻、文庫本8巻の累計売り上げ部数は2500万部。「歴史青春小説の金字塔」ともいわれている。日本人が抱く坂本龍馬のほとんどのイメージは同書によるものといってもいいだろう。

 1968年(昭和43年)の大河ドラマ第6作目では、その「竜馬がいく」が取り上げられた。前作「三姉妹」に引き続いて幕末物になったのは、「明治100年」を節目にして現代の視点から明治を捉えなおすというNHKの考えからだった。

 龍馬役には当時25歳だった北大路欣也、武市半平太には24歳だった高橋英樹が抜擢された。

 本作で龍馬の姪の坂本春猪を演じた二木てるみさんは、撮影当時の思い出をこう語る。

「北大路さんとは私が7歳頃、写真雑誌『アサヒグラフ』の『昭和の子役たち』という特集で彼のご自宅や撮影中のスタジオにお邪魔して対談、というかお話しているんですよ。だから『竜馬がいく』でご一緒したときは懐かしく、龍馬という大役を演じるということでとても張り切っていたのを覚えています」

 龍馬と春猪は八歳違いの伯父と姪という関係だが、長崎から西洋のおしろいを贈る約束をしたり、春猪がかんざしをねだったりしていて仲の良い兄妹のようだったことが、残されている龍馬の手紙が伝えている。  

 「当時私は19歳で北大路さんとは6歳違いだから、年齢的に龍馬と春猪の関係に近かったことが演じやすくさせた理由のひとつのようにも思います。それと大河の現場はいつも“よいものを作ろう”という雰囲気にあふれていて、スタッフの皆さんはとても丁寧に仕事をしていました」

 司馬氏は、「ぼくが竜馬を書いたのは、生き生きとした青春を竜馬に感じたからなんです。とにかく竜馬は男も女もほれる男ですよ。その点、あなたはどことなく竜馬に似ているし成功まちがいなしだ」(NHKグラフ)と北大路竜馬にエールを送っている。

 しかし結果は、平均視聴率は14.5パーセント、最高視聴率が22.9パーセントと振るわなかった。

 視聴率的には成功したとは言いがたい「竜馬がいく」だが、このドラマによって司馬氏の原作を知った人も多く、とくに団塊世代の若者たちは革命的に生きた龍馬に強い憧れを抱いた。孫正義や武田鉄矢は「竜馬がいく」をバイブルとしており、その代表ともいえる。

 またこの後に、「花神」「国盗り物語」「翔ぶが如く」「功名が辻」「徳川慶喜」など大河ドラマの原作者として常連となる司馬遼太郎ものの初登場となる作品としても忘れがたい。

 大河ドラマの歴史を内側から見続けてきた元NHKドラマ部の大原誠氏は自著「NHK大河ドラマの歳月」で以下のように述懐している。

「かくして2年連続、低視聴率に悩まされ、大河ドラマ危機感が芸能局を覆いました。この時、大河ドラマ終息論が出たそうです(中略)。しかしこの大河ドラマの危機を救ったのが、テレビのカラー化をはじめとする技術革新の波なのです。次回作である第七作『天と地と』はいろいろな面で画期的な作品となっていきます」

 風雲児・龍馬のように歴史の荒波に揉まれながら常に前進するプロジェクトだった。

※小説と司馬氏の発言、ドラマのタイトルは常用漢字の「竜」を、それ以外は旧字の「龍」と表記した

(文・植草信和)


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