坂井泉水さん(写真:株式会社ビーイング提供)
坂井泉水さん(写真:株式会社ビーイング提供)
島田勝弘(しまだ・まさひろ)/株式会社BIRDMAN MASTERING代表、マスタリング、Live収録およびミックスエンジニア。ZARDのレコーディングを担当。ZARD初のフィルム・ライブ「ZARD Screen Harmony Live ~25th Anniversary → Forever...!~」Dolby Atmosミックスも手がけた
島田勝弘(しまだ・まさひろ)/株式会社BIRDMAN MASTERING代表、マスタリング、Live収録およびミックスエンジニア。ZARDのレコーディングを担当。ZARD初のフィルム・ライブ「ZARD Screen Harmony Live ~25th Anniversary → Forever...!~」Dolby Atmosミックスも手がけた

 2017年5月27日、10回目の命日を迎えたZARDのボーカル・坂井泉水さん。その最初から最後までレコーディング・エンジニアを務めたのが、島田勝弘氏だった。

【写真】坂井泉水がスタジオで見せた素顔

 坂井さんとの最後のレコーディングは2006年4月。

 スタジオに響いた坂井さんの歌声に島田氏は心が震え、鳥肌が立った。

 その日、所属するレコード会社、ビーイングの所有するスタジオ、バードマンウエストに、坂井さんは母親に付き添われて現れた。

 この数日前、彼女に子宮頸がんが見つかり、6月には摘出手術を受けている。レコーディングしたのは「グロリアス マインド」。

 タイアップの話が進んでいたため、病を押してでも、サビだけは録音する必要があったのだ。

 レコーディングできる体調ではない――。

 島田氏は思った。しかし、坂井さんはヴォーカル録音のブースに入り、いつも通り、外から見えないようにカーテンを引いた。

 デビュー当初から、周囲の目を気にせずに思いきり歌えるようにと、ヴォーカル・ブースは中が見えないようにカーテンで遮られた。口を最大限開いて歌っても恥ずかしくないように配慮されたのである。

 ところが、次の瞬間、島田氏は自分の耳を疑った。スピーカーから響いた坂井さんの声には、万全なコンディションで臨んでいたかつてのレコーディングを彷彿させるほどの力があったのだ。

「自分のすべてを声にしたという歌でした」

 3テイクほど録音したら、坂井さんは母親とともにスタジオを後にした。その間わずか30分弱。一人残された島田氏はコンソールの前でしばらく動けずにいた。

■坂井泉水からもらった驚きのプレゼントとは?

 島田氏が坂井さんと出会ったのは1990年。ファーストシングル「Good-bye My Loneliness」のレコーディング前である。坂井さんが気を遣わないようにと、若手スタッフを中心にZARDのスタッフが集められ、総合プロデューサーの長戸大幸氏に招集された。それから、最後のレコーディングの「グロリアス マインド」まで、坂井さんの全キャリアのレコーディングに携わった。

 一致団結して作品を作るZARDのプロジェクトの中心にはいつも坂井さんがいた。そして、坂井さんのスタッフへの気遣いが団結力をさらに強くした。

 島田氏は誕生日にシルクのパジャマをもらったことがある。

 そこには次のメッセージが添えられていた。

<お誕生日 おめでとうございます(ハートマーク)
大した物ではありませんが、良かったら
使って下さい。実はちょっと サイズが(特におなかが……)
心配なのですが、もし小さかったら
奥様に貸してあげて下さいね(笑)
坂井泉水>

 誕生日にケーキを用意してくれたこともあった。

<Dear シマダさん(ハートマーク)
40('')歳 お誕生日
おめでとうございます
いつも長時間のレコーディングで
大変だと思いますが……
お互い体を壊さないように
より良い作品を作り続けたいですね
なぁ~んて まじめな文章になっちゃいましたが、
ケーキ食べて下さいね(ハートマーク)
泉水>

 このメッセージカードを今も島田氏は大切にもっている。

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神舘和典

神舘和典

1962年東京生まれ。音楽ライター。ジャズ、ロック、Jポップからクラシックまでクラシックまで膨大な数のアーティストをインタビューしてきた。『新書で入門ジャズの鉄板50枚+α』『音楽ライターが、書けなかった話』(以上新潮新書)『25人の偉大なるジャズメンが語る名盤・名言・名演奏』(幻冬舎新書)など著書多数。「文春トークライヴ」(文藝春秋)をはじめ音楽イベントのMCも行う。

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