島田さんが2曲目にあげたのは「雨に濡れて」。

「僕は学生時代にドラムスをやっていまして、ドラマー目線で好きなのが『雨に濡れて』です。打ち込みのドラムスが多いZARDの楽曲の中で、この曲は青山純さんが叩いています。青山さんは2015年に若くして亡くなられましたが、山下達郎さんやMISIAさんのバンドのドラマーでした。青山さんの演奏は、2拍目と4拍目のスネアドラムがほんの少し後ろに聴こえるんですよ。そのわずかなタイミングの違いによって、坂井さんの声と一緒に歌っているように聴こえる。歌詞に描かれている、雨のホームや、涙でにじむ歩道の風景がほんとうに見えるような曲です」

 ザ・スクエアやプリズムのメンバーとしても活躍した青山さんは、1980年代から2000年代の日本のポップシーンを代表するドラマーの一人だった。

 1曲1曲の質を高めるための、坂井さんの思いはすさまじかった。それは、スタジオワークにも表れていたそうだ。

「納得するまで何度でも歌いました。アレンジも、ミックスも、何度も何度も。作業は毎回CDの発売ぎりぎりまで行われて、時には発売後も直します。『運命のルーレット廻して』という、アニメ『名探偵コナン』のタイアップになった曲ではシングルおよびアルバムで20回以上アレンジをやり直しました。確かCDの発売日も変更になったはずです。この曲は、アニメでオンエアされた初期と後期では、まったく別バージョンになっています。アコースティックギターによるラテンのテイストの導入部のバックに、途中から打ち込みのドラムスがあったり、なかったり。ギターのソロも、打ち込みのベースラインやシンセも、ヴォーカルのリバーブも、かなり直しています。シングルリリース後にもミックスをやり直しているので、シングルバージョンとアルバムバージョンを聴き比べていただければはっきりとわかるはず」

 坂井さんは自分の作品の客観視を常に意識していた。

「アーティスト目線とリスナー目線。常に両方を持つように心がけていたと思います。自分の歌は、歌った直後は、自分ではなかなか判断できません。だから、何パターンも、当時はカセットテープに録音して、自宅に持ち帰って家族に聴かせて、その反応を確認していました。その結果、歌詞、メロディー、アレンジ、ミックス……が直しを重ねるごとに調和していきました」

 坂井さんはひと度スタジオに入ると、その集中力はすさまじかった。

 だから、ヴォーカルレコーディングのブースをカーテンで仕切る以外にも、彼女が集中できるように、島田氏は心がけていた。

「ZARDのレコーディングでは、僕は必ず1時間以上前にスタジオに入り、準備を整えました。レコーディングの準備に加え、のど飴や坂井さん専用の加湿器などを用意して待ちます」

「坂井さんが100%の力を発揮できる環境を用意するのも僕の役割ですから」

 喉を大切にする坂井さんは、デビューしてしばらくすると、カモミール・ティーを持参し、自分が持ち込んだマグカップで飲むようになった。

 レコーディング後に島田氏がそのマグカップを洗って次に備えていた。 

 その場所に坂井さんはもういないが、今もスタジオには当時、使ったグッズが置いてあるという。

※マグカップは2011年のZARD展で展示中に盗難されてしまったという。坂井さんがいたスタジオへ再び戻して欲しいと、ZARDのスタッフたちは願い続けている。

(文/神舘和典)

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神舘和典

神舘和典

1962年東京生まれ。音楽ライター。ジャズ、ロック、Jポップからクラシックまでクラシックまで膨大な数のアーティストをインタビューしてきた。『新書で入門ジャズの鉄板50枚+α』『音楽ライターが、書けなかった話』(以上新潮新書)『25人の偉大なるジャズメンが語る名盤・名言・名演奏』(幻冬舎新書)など著書多数。「文春トークライヴ」(文藝春秋)をはじめ音楽イベントのMCも行う。

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