かつて元日本兵だけが行かれたミャンマーのミッチーナとは? <下川裕治のどこへと訊かれて> (2/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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かつて元日本兵だけが行かれたミャンマーのミッチーナとは? <下川裕治のどこへと訊かれて>

連載「どこへと訊かれて」

ミッチーナ空港。マンダレーまでは片道60ドルだった

ミッチーナ空港。マンダレーまでは片道60ドルだった

 ミッチーナが外国人に開放されてからそう長い年月はたっていない。政府軍とカチン族の反政府勢力との衝突がしばしば起きていたからだ。しかし解放前から、この街を訪ねることができる日本人たちがいた。元日本兵である。

 ミッチーナは第2次世界大戦の激戦地だった。日本軍は、イギリスやアメリカが送る中国への援助を断ち切るためにミッチーナに侵攻した。しかし激しい攻撃にさらされ、最後には撤退する。日本軍の指示に背き、軍を撤退させた水上源蔵少将の判断は、戦後の美談にもなった。生き残った兵士たちは、遺骨収集のためにミッチーナを訪ねることができた。彼らは街を流れるエーヤワディー川の河畔に大きな涅槃(ねはん)仏も寄進している。

 川に沿って流れる風には、どこか中国のにおいがした。中国との国境はそう遠くない。

 帰路は飛行機を選んだ。ミッチーナ空港には大きな垂れ幕がさがっていた。2日前に新しい空港ターミナルがオープンしたのだ。新しいターミナルの入り口には、カチン族のデザインを模したトーテムポールのような柱が何本も建てられていた。

 ミャンマーも少しずつ新しい時代に向かっている。

下川裕治(しもかわ・ゆうじ)
1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(隔週)、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週)、「東南アジア全鉄道走破の旅」(隔週)、「タビノート」(毎月)など


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下川裕治

下川裕治(しもかわ・ゆうじ)/1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(隔週)、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週)、「東南アジア全鉄道走破の旅」(隔週)、「タビノート」(毎月)など

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