現在の男子の状況にもあてはまる部分はあるといえる。オランダとイギリスに端を発するフィギュアスケートは、欧米主導で発展してきた。バレエとも深い関わりを持つ芸術スポーツ・フィギュアスケートで、アジアの選手は文化的な違いというハンディキャップを背負ってきたことは否めない。

 その見えない壁を打ち破ったのは、日本の伊藤みどりさんだろう。ジャンプにおいて天賦の才を持つ伊藤さんは、未だに男子にとっても難しいジャンプであり続けているトリプルアクセルを武器に、1992年アルベールビル五輪で銀メダルを獲得した。アスリートとしてフィギュアスケートを究めることで五輪の表彰台にまで上り詰めた伊藤さんの存在があったからこそ、現在の日本、そしてアジアのスケーターの活躍があると言っていい。

 中国メディア・新華網は2014年に掲載した「フィギュアスケートはアジアで普及させるに十分ふさわしい『美しいスポーツだ』」という評論記事で、アジアの選手が飛躍した理由として「アジア人は小柄で軽く、柔軟性がある。投げる、跳ぶ、回転するなどといった空中動作を軽々こなせるほか、演技もしなやかで美しさを十分に備えている」ことを挙げている(「サーチナ」より引用)。

 私見だが、男子で近年アジア系選手が強さを見せているのは、4回転の種類・本数ともに急激に増えている状況と無関係ではないように思える。だが、羽生の音楽を体全体で受け止めるような表現力や、チャンの卓越したスケーティングを見ると、アジア系選手の特長はジャンプのみにあるとも思えない。アジアの選手たちの躍進は、フィギュアスケートがより高度なジャンプを競うスポーツとして、また様々な文化圏で楽しまれるグローバルなスポーツとしても、進化していることの証なのかもしれない。(文・沢田聡子)