開かれたミャンマーの空港で実感する民主化 <下川裕治のどこへと訊かれて> (1/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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開かれたミャンマーの空港で実感する民主化 <下川裕治のどこへと訊かれて>

連載「どこへと訊かれて」

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外観もすっかり変わった。明るい空港になった

外観もすっかり変わった。明るい空港になった

 さまざまな思いを抱く人々が行き交う空港や駅。バックパッカーの神様とも呼ばれる、旅行作家・下川裕治氏が、世界の空港や駅を通して見た国と人と時代。下川版「世界の空港・駅から」。第17回はミャンマーのヤンゴン空港から。

*  *  *
 最近、ヤンゴン空港を使う機会がめっきり減ってしまった。隣国タイとの国境が通過できるようになったからだ。

 メーソートからミャワディ、メーサイからタチレクの国境を通ることが多い。カンチャナブリーからダウェイの国境を通ったこともある。ミャンマーから戻るときも、ミャンマー側の国境近くまで飛行機で移動し、陸路でタイに戻ることが多い。

 そういう旅人だから、こういう初歩的なミスを犯すのかもしれない。

 ミャンマーのビザが簡素化された。大使館に出向くことなく、インターネットで申請すると、ビザがネットで届くシステムになった。料金は50ドル。やや高い気もしたが、今回はその方法でビザをとった。行きの航空券だけを買った。陸路国境でタイに戻るつもりだったからだ。

 ところが、ヤンゴンに向かう飛行機に乗るタイの空港で、搭乗を拒否されてしまった。帰りの航空券をもっていないと乗せられないという。よく見ると、受けとったビザには、「出国する航空券をもっていること」と明記されていた。見落としていたのだ。しかたなく、タイの空港で帰りの航空券を買った。LCCだから高くはなかったが。

 帰りの航空券を買いながら、以前のヤンゴン空港を思い出していた。かつてこの空港に降り立つと、200アメリカドルの兌換(だかん)券への強制両替が待っていた。兌換券というのは、アメリカドルと同等紙幣で、使える店が限定され、ホテル代や飛行機や列車の代金は兌換券での支払いと義務づけられていた。一般のミャンマー人や店との接触を減らし、国内にドル紙幣が流通することを避けるためだった。民政化する前のミャンマーには、この紙幣が使われた時期があった。しかし市内に出れば、ドルの闇両替が当たり前のように行われていた。うまくやれば、兌換券での支払いを少額に抑えることができた。


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