その要因は、かねてからのテーマである「力まない、無駄な力を入れない走り」に改善が見られること。それが「できないこともあるが、できることも増えた」(大前GM)という段階まで上がったのは良い傾向だ。その勢いに乗って五輪後の2戦では9秒台一番乗りを目指した。

 結果的には、来季の積み残しの宿題になったが、ケンブリッジは「これまでやってきた取り組みの延長上のことを続けていけばいい」と考えている。その現在の強化方針は、一つには、サイボーグのように鍛え上げた身体をさらに強くすることであり、大前GMはドーピングを引き合いに出した思い切った発想で次の一手を見据える。

「なぜドーピングに手を出すかと言えば、手っ取り早く速くなれるから。これを逆から考えると、強くなるにはトレーニングで強じんな体を作って走ることが重要なのであって、そこにアプローチしたい」

 最後は桐生。以前は、日本国内で一番でない自分など許せなかった。5月に山縣に負けたときは「もう2度と日本人に負けたくない」と言っていた。だが、日本選手権で日本のトップの座から陥落し、「僕はもう一番強い選手じゃないんで」とむせび泣いた。リオ五輪の100m予選敗退後には「僕はもう速い選手じゃない。速くなって帰って来たい」と語った。

 人生最大の危機だろうか。だが、その悔しさこそが、彼のスケールをひと回り大きくするに違いない。試練は人を強くする。それは、ケガに苦しんだ山縣とケンブリッジが先に経験した道でもある。リオ五輪で桐生は、「4年で人は変われる。変わっていきたい」と誓った。

 桐生の「手応え」は、リオ後の9月上旬の国内レースで訪れる。苦手のスタートを意識し過ぎていたのを改め、「スタートで使っていた力を中盤で全部出し切ってやろうと。“バーンと行ってスー”から“スーと行ってバーン”という感じに変えた」と言う。そして、「中間を意識したら力んでも伸びた。リオのリレーであれだけ走れて、100mが走れない訳がない。修正点を見直せばベストタイムは絶対出る」との感覚を得た。

 三人三様の「手応え」である。加えて言うなら、3人が激しくしのぎを削る状況が〈壁〉を突破するためのエネルギー源となる。実は、青戸氏はロンドン五輪の後の講演会で、既にリオでの銀メダルを予想していた。聴衆からは「まさか」という苦笑が漏れたという。その青戸氏が語った冒頭の9秒台の直感だけに説得力が違う。今季は慌ただしく時間切れというところなのであり、来季のXデー到来を待ちたい。(文・高野祐太)