こうした今季の流れを踏まえ、3人それぞれが皆「自分こそが一番速い。自分こそが最初に9秒台を出すにふさわしい」と思っているはずだ。ひいき目の自己評価という以上の「手応え」として。現に3人とも、そうでなければ口にはしないような発言を繰り返すようになっている。この確かな手応えが9秒台を待望する人々に伝播し、青戸氏の直感に響いた。

 結果、「〈壁〉の突破の日が近い」という予感は呼び起こされる訳だが、では、その「手応え」は、どこからくるのか。

 まず山縣。山縣は12年ロンドン五輪で日本人五輪最高の10秒07を出し、桐生より先に「〈壁〉突破の予感」を沸き起こした男だ。その後、度重なるケガに苦しみながら、今季、ついに日本のトップ争いに戻ってきた。そして、リオ五輪では、何か新たな走りの感覚をつかんだ様子だ。

 10秒03を出した9月25日のレースの後、「自分の最短距離のイメージを想像し、前を見て、そこから視線を外さない。リオでつかんだ感覚を確かめられた」と語った。リオ五輪でコメントした「前に意識を持って走る、ゴールだけ見て走る感覚」を言い換えた表現だった。

 「前に」と言い表される走りの技術は、例えば「脚を後ろに流さず、素早く前に持っていく」というように、どの局面においても理にかなった動作と結びつく。山縣自身が以前から標榜してきたものであり、そうやって走れたときの感覚が新たな領域に入ってきたことを、視覚イメージ的な言い回しに託したように聞こえる。〈10秒00の壁〉を突破したときに目の前に現れるであろう風景が見え始めた、とでも言いたげなのだ。吉兆に違いない。山縣は「9秒台を狙って出す」と、何のためらいもなく言うようになっている。

 ケンブリッジの場合。リオ五輪の100mは準決勝敗退だったが、大前祐介ゼネラルマネジャー(GM)は「1大会のうちに10秒1台で2回走れたことに成長の跡が見える」と評価する。「準決勝はガトリンの飛び出しにリズムを崩されたにもかかわらず、その展開で10秒17に収められた」

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