石積み職人集団「穴太衆」の末裔が語る「熊本城」修復にかかる課題とは!? (3/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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石積み職人集団「穴太衆」の末裔が語る「熊本城」修復にかかる課題とは!?

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被災した熊本城 (c)朝日新聞社

被災した熊本城 (c)朝日新聞社

 熊本城は西南戦争(1877年)で一部を残して焼失、1889年に起こった熊本地震でも石垣の一部が崩れた。櫓、城門、塀はいずれも重要文化財。中でも倒壊した櫓は、清正が築城した当初から残る建造物である。

 粟田社長は、「ニュース映像などを見る限りでは」と前置きしたうえで、「石垣は何度も修復を重ね、ある時期に直した箇所がごっそり崩れ落ちた可能性が高いのでは? 穴太衆が関与していない工事もあるはずです」と指摘した。言外には「穴太衆の技なら、一部の石が落ちても石垣は崩壊しない」との自負をのぞかせる。

 しかし、過去の工事の詳細は分からない。一般的に、昭和20年代から30年代、つまり戦中・戦後の混乱期に行われた修復は、どの都道府県でも資料が残っておらず、経緯は不明。再建・改修を重ねて今日の姿になった名城ほど、技術的には“つぎはぎ”なのである。

「費用も期間も、どれくらいかかるか、想像もつかないレベル」と粟田社長。今後、修復を担う業者は決まっていくことになろうが、「複数の企業が携わり、行政が主導する一大プロジェクトとして修復は行われるでしょう。かなりのお金と日数が、かかるはずです」とのこと。

 粟田社長によると、過去に築かれた城のなかには、崩れた石垣を覆うようにして、外側に石垣を積み、上物も大きくした城もあったらしい。しかし、「重要文化財となれば、そうもいかないですからね……」とポツリ。聞けば聞くほど、熊本城復旧の道は険しそうだ。

(ライター・若林朋子)


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