トークショーで短編小説『城崎裁判』について語る万城目さん(左)と幅允孝さん
トークショーで短編小説『城崎裁判』について語る万城目さん(左)と幅允孝さん
「城崎で“地産地読”を根付かせたい」と話す大将さん(左)と片岡さん
「城崎で“地産地読”を根付かせたい」と話す大将さん(左)と片岡さん
志賀直哉をはじめとする多くの文人が訪れた城崎温泉
志賀直哉をはじめとする多くの文人が訪れた城崎温泉
志賀直哉が好んで宿泊したという三木屋の「26号室」。現在も泊まることができる
志賀直哉が好んで宿泊したという三木屋の「26号室」。現在も泊まることができる
『城の崎にて』と注釈本『注釈・城の崎にて』の2冊組と万城目さんの短編小説『城崎裁判』
『城の崎にて』と注釈本『注釈・城の崎にて』の2冊組と万城目さんの短編小説『城崎裁判』

 2016年3月5日、兵庫県北部の豊岡市に位置する城崎温泉の旅館「三木屋」の一室。文学ファンら約120人の拍手につつまれ、突如浴衣姿の男性が2人現れた。『プリンセス・トヨトミ』などの作品で知られる小説家、万城目学さんと、ブックディレクター、幅允孝(はば・よしたか)さんだ。

 明治から昭和にかけて多くの文人が訪れた城崎温泉は、志賀直哉の短編小説『城の崎にて』の舞台としても有名だ。しかし現在は、外湯巡りや浴衣姿での街歩きがクローズアップされ、文学はすっかりなりを潜めている。そんな中、文学で再びまちを盛り上げようという動きがあるという。

 旅館の若旦那衆らでつくる出版レーベルのNPO法人「本と温泉」が仕掛けたのは、城崎を舞台にした本 を、城崎限定で発売するという、“地産地読”という試みだ。13年、志賀の来湯100年を機に設立し、地域プロデューサーでもある幅さんらの協力を得ながら、城崎の外湯や旅館などでしか入手できない本を世に送り出している。

 冒頭で紹介したのは、東京国際文芸フェスティバルの地域サテライトイベント「城崎温泉の万城目学」での一幕だ。万城目さんは城崎を舞台にした短編小説『城崎裁判』(税込み1700円)を執筆した縁で、幅さんとのトークショーに出演、小説の朗読を行った。スランプに陥った小説家が城崎で次々と不思議な体験をする物語は、原則城崎限定で販売されており、他の地域では購入できない仕組みとなっている。

 インターネット通販で本が簡単に買える時代、なぜこんな面倒くさいことが行われているのか。

 理事長の大将伸介さん(39)や理事の片岡大介さん(34)は「外湯巡りや浴衣姿での街歩きは自分たちのOBがブームを起こしたもの。自分たちは城崎で作られた本を、訪れる人に読んでもらい、その名所にも触れてもらいたい 」と話す。一カ所で客を囲い込まず、どんどん街なかに出てもらおうという旅館経営者らの試みが根付いた、城崎ならではの発想なのだ。

 最初は行政の補助金を得て、『城の崎にて』と注釈本『注釈・城の崎にて』の2冊組の本(同1000円)を出版した。大正初めに発表され、山手線の電車に跳ね飛ばされてけがをするところから始まるなど、現代人には分かりにくい部分もある志賀の代表作を見直すこととしたのだ。

 注釈本は東京の人気書店「UTRECHT(ユトレヒト)」代表を務めた江口宏志さんに執筆を依頼。同法人や幅さんらでアイデアを出し合って浴衣の裾に入れて持ち歩けるように名刺よりひと回り大きいサイズとし、13年9月に発売した。当時の時代背景や志賀の暮らしぶりを交えた注釈本付きの改装版はコンスタントに売れ、約2500部を売り上げた。

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