やがて観光客の増加で本業の鉱石運搬に支障が出始め、経営合理化のため85年に一般客などを乗せるのは終了。87年の鉱山閉山後、再び日の目を見たのは2007年のことだった。地元の祭りに合わせて、住民や養父市などでつくる「鉱石の道」明延実行委員会が、保存されていたくろがね号を約30メートルの仮設軌道で走らせたのだ。

 約20年ぶりの復活は話題となり、10年には有志によって約70メートルの軌道が造られた。それから、毎年4~11月の第一日曜に体験乗車会を行い、“定期運行”している。

 乗車会には毎回、関西を中心に、全国から200~300人前後が訪れる。15年6月には、乗車人数1万1111人を達成した。乗車会に合わせて、鉱山坑道の見学会(予約制)も行われている。

 筆者も1円を払って切符を買い、くろがね号に乗ってみた。定員約20人の車内は狭く、座っていても天井に頭がぶつかりそうだ。窓には鉄格子がはめられ、少しものもしい感じがする。乗り心地は、平地を走るぶんには快適だが、山道の運行なら、隣の人と会話する余裕もないに違いない。

 実行委員会は09年から、電車の維持管理や車庫の整備のために募金を開始。運転士の養成も進めており、これまでに約40人が誕生している。その中の1人、大阪市在住の公務員、坂田紀朗さん(44)は、鉄道好きが高じて運転資格を取った。7月の乗車会にもスタッフとして参加し、「鉄道雑誌で見て運転したくなった。日本で唯一無二の電車を運転できることになりうれしい」と喜ぶ。

 鉱山が栄えたころは、人口約4000人だったという明延。地域の娯楽施設では、ほぼ毎日、最新の映画が上映され、島倉千代子さんら有名な歌手や役者の公演なども行われたという。一円電車安全運行推進委員会の小林政数委員長(66)は「昭和30年代ごろは流行の最先端をいっており、神戸よりも栄えていた。京都や奈良への修学旅行にも一円電車を利用したものだ」と懐かしむ。

 次回の体験乗車会は8月2日を予定している。

(ライター・南文枝)