『グーグーだって猫である』に見る小泉今日子と宮沢りえの違い (2/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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『グーグーだって猫である』に見る小泉今日子と宮沢りえの違い

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助川幸逸郎dot.#小泉今日子になる方法
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 宮沢りえの「小島麻子」は、漫画を描く人間には見えません。「自分自身とは別の何か」にエネルギーをゆだねていては、これほどの存在感は醸し出せない――そう思わせる風情を漂わせています「生身の自分」がそのまま「自己表現のメディア」になっている特異な女優。それでいて宮沢りえは、「小島麻子」という役に不思議なほどなじんでいます。

 大島弓子の作品ではしばしば、「尊いけれど、この世には長くとどまれない儚いもの」が重要な役割を演じます。「小島麻子」になっているときの宮沢りえは、そうした「儚いもの」とおなじ表情を浮かべています。「大島弓子が絵に描いた人物」に見える瞬間が、宮沢りえの「小島麻子」にはあるのです。

『生徒諸君』のマールをはじめ、「儚いもの」を演じることは、若いころから小泉今日子も得意でした。にもかかわらず、宮沢りえのような「小島麻子」像をつくりあげるつもりは、小泉今日子の念頭になかったようです。

<この映画、アイドル映画みたいじゃありません? 私の、じゃなくて猫さんの>

 映画版のDVDのメイキング映像で、小泉今日子はそう言っています。この作品に「尊いけれど儚いもの」として映るべきは、「自分」ではなく「猫」である――それが小泉今日子の判断だったのでしょう。

 自分の中の「尊いけれど、儚いもの」を、猫や作品に投影させる大島弓子――小泉今日子がつかまえようとしているのはそれです。自分自身が「儚いもの」と化す宮沢りえと、どちらが「大島ワールド」にふさわしいか、甲乙は簡単につけられません。

「小泉今日子と宮沢りえは、なぜ生き残ることができたのか?」につづく


※助川幸逸郎氏の連載「小泉今日子になる方法」をまとめた『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』(朝日新書)が発売されました

注1 「宮沢りえ&小泉今日子の違いとは!? 「グーグーだって猫である」犬童一心監督インタビュー【前編】」(「ザテレビジョン」2014年10月16日配信)
http://thetv.jp/news_detail/51374/


助川 幸逸郎(すけがわ・こういちろう)
1967年生まれ。著述家・日本文学研究者。横浜市立大学・東海大学などで非常勤講師。文学、映画、ファッションといった多様なコンテンツを、斬新な切り口で相互に関わらせ、前例のないタイプの著述・講演活動を展開している。主な著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)、『光源氏になってはいけない』『謎の村上春樹』(以上、プレジデント社)など


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