そして、毎日、楽しく仕事をしていた。

 そのくせ、仕事ばっかりしていると寂しくなって、またまた恋愛、結婚

「やっぱり、温かい家庭っていいな」

 そう思っていた。家庭的な生活は、再び私をごきげんにしてくれた。

 しばらくは、新居が「居心地の良い場所」になったけれど、またまた、そこに飽きて、「居心地の良い場所」探し。

 仕事だけでは物足らなくて、あげくのはてに、大学院を受験。今のわたしにとっては、大学院での生活が結構「居心地の良い場所」になっている。学び直しもなかなか楽しい。

 若い子たちと学ぶのも刺激的。

 今のわたしにはごきげんになれる場所。

 ある70歳の女性が言った。

「わたし、孫といるときがいちばん幸せだったの。働いている息子夫婦に代わって孫といる時間が、とっても居心地が良かった。でも、孫たちも中学生になると、もう『おばあちゃん』じゃないんですよ。だんだん、わたしのところに来なくなって、寂しいな」

「居心地が良い場所」がこんな形で変化することもある。また、「自分にとって居心地が良い場所」が、いつまでも相手にとって「居心地の良い場所」であり続けるとはかぎらない。

 どこが自分にとって「居心地の良い場所」なのか、誰が必要なのか。

 分っていない人もいる。分からない場合もある。そして、イライラする。

 そんな時に大切なのは、やっぱり、自分と向かい合うこと。

 どこにいると心が落ち着くのか、どこにいると幸せなのかをじっくり考えてみること。

 そんなことを言っても、わたしもしょっちゅう揺れ動いている。

 ただ、はっきり分っていること。わたしは、尊敬されたいわけでもなくお金持ちになりたいわけでもないということ。

 ちやほやされているとき、すなわち「愛を感じる場所」が、自分にとって、「最高に居心地の良い場所」だということ。

 だから、つい、八方美人もしてしまう。

 愛が欲しいから、人が言われて嬉しい言葉なども研究する。そして、いろんな人から誘われてごきげんになる。

 ありがたいけれど、それで忙しくなったり、お金を使い過ぎたりしてしまう。

「居心地の良い場所」がたくさんのあるのも困りもの。

 ほどほどにあるから楽しいし、幸せ。

 ガソリンスタンドだって、たくさんありすぎてもそんなにガソリンを入れられない。