■kyon2をつくった男たち

 バブル時代の小泉今日子には、何人かのブレーンがいました。

 断髪して独自路線を打ち出した頃、プロモーションの戦略を考えていたのは秋山道男です。秋山は、無印良品のプロデュースやチェッカーズの売り出しで成功し、1980年代には「時の人」でした。小泉今日子が黒塗りビキニ姿になった「活人」も、彼女の「人拓」が載せられた「小泉記念艦」も、秋山が編集をしています。

 秋山道男の提案で小泉今日子が行ったことには、現在の目から見ると疑問を感じる部分もあります。とはいえ、前例のないアイドル像を小泉今日子が確立することに、彼が貢献したことは間違いありません。

もしも「なんてったってアイドル」を松田聖子が歌っていたら(中)』(dot<ドット> 朝日新聞出版)で、私は「KOIZUMI IN THE HOUSE」というアルバムに触れました。ハウス音楽をメジャーにするうえで、大きな役割を演じたディスクです。89年発売のこの作品の、実質的なプロデューサーは近田春夫でした。

 近田春夫は、ジャンルを越えた幅広い音楽活動と、Jポップの深読み批評で知られる人物です。「KOIZUMI IN THE HOUSE」をリリースした頃の小泉今日子は、ハウス音楽にそれほど詳しくありませんでした(小泉当人がインタビューで告白しています)(注1)。近田春夫が身近にいたおかげで、小泉今日子はこのアルバムを生みだせたといえます。

 90年代前半には、川勝正幸が小泉今日子の同伴者でした。その頃川勝が手がけていた仕事は、セルジュ・ゲンズブール一家の映画や音楽の紹介です。当時、映画マニアのあいだで世界的にブームになっていた、ジョン・カサヴェテス監督作品の伝道にも積極的でした。おしゃれなマイナーカルチャーとしての「サブカル」――川勝正幸は、その「最強の目利き」のひとりでした。

 小泉今日子はそんな川勝正幸から、おびただしい養分を得ています。彼女の自伝『パンダのanan』(マガジンハウス 97年)には、「好きな映画監督はジョン・カサヴェテス」という文言が見えます。おそらくこれは、川勝の影響の表れです。

 川勝正幸との交流がなければ、小泉今日子が現在のように「文科系活動」を展開できたかどうかは疑問です。「川勝さんがいてくれたおかげで、私はいろんな人に出会うことができたし、それまで点と点でしかなかったものが太い線としてつながることもできた」と、小泉今日子当人も書いています(注2)。

バブル時代の小泉今日子は過剰に異常だったか(中)につづく

※助川幸逸郎氏の連載「小泉今日子になる方法」をまとめた『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』(朝日新書)が発売されました

注1 「『なんてったってアイドル』を歌うのは嫌でした」小泉今日子30年の軌跡 「日経エンターティメント! 2012年4月2日号」
注2 小泉今日子『ポップ中毒者の手記(約10年分)』解説(川勝正幸著 2014年 河出文庫)

助川 幸逸郎(すけがわ・こういちろう)
1967年生まれ。著述家・日本文学研究者。横浜市立大学・東海大学などで非常勤講師。文学、映画、ファッションといった多様なコンテンツを、斬新な切り口で相互に関わらせ、前例のないタイプの著述・講演活動を展開している。主な著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)、『光源氏になってはいけない』『謎の村上春樹』(以上、プレジデント社)など