「もしかして、教室でご一緒していたかも」。ともに1956年生まれの同い年である佐野元春と周防正行映画監督は、実は、同時代の立教大学に通っていた。このほど初めて2人の対談が実現。好評発売中のムック『立教大学 by AERA』(朝日新聞出版刊)から一部を紹介する。

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佐野 僕と周防さんは同い年で、同時代の立教に通っていました。

周防 2浪してた僕は当時、自分に何ができるのか、何がしたいのか、どんな大人になるのか、まったくイメージできずイライラしてて……。そんなとき、一般教養の中に蓮實重彦先生の「映画表現論」を発見して、たぶん、この授業に出会ってなかったら映画監督になってないですね。

佐野 僕も蓮實先生の映画表現論を取ってました。2年間、先生の授業だけは全部出ました。

周防 あ、同じだ。僕は単位に関係なく、4年間出てました。

佐野 もしかしたら教室でご一緒してたかもしれない。自分は論文で「チャーリー・チャップリン映画におけるすれ違いの美学」をテーマに書きました。先生から大変褒められまして、Aプラス。大学の中で評価されることはなかったのでうれしくて。

周防 僕は先生の「映画は見るものだ」という言葉が新鮮で。それまでは、映画を理屈で考え、ある意味、「読んでいた」のが、映画は映っているものをただ見ればいいのだとすごく楽になり、映画監督になれるかも、と(笑)。4年のとき「助監督になれました」と報告にいくと、池袋駅前の喫茶店でお祝いしてくれました。

佐野 大学在学中に現場に?

周防 4年の夏休み少し前に高橋伴明監督に会いに行って、そしたらあっさり「秋から来なよ」と。それから5年間、ピンク映画の現場にいて。あのころ、仏語のできないフランス文学科の学生が卒業して、なんになるのかなって。それなら好きなことに一回飛び込んでみよう、と。捨てるものがなかったからできたんですよ。僕が東大法学部に入っていたら映画監督になっていません(笑)。

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