だが、わざわざ「何かいいこと」を全世界、少なくとも日本語を理解する者全員に向けて発信するのは、何かしら本人に「素敵って思われたい」「同意を得たい」「いいね!が欲しい」「かっこいいおじさんと思われたい」という気持ちがあるわけで、素敵とかかっこいいと思われたいのであれば、ぜひともその「いいこと」はアウトドアでコーヒー飲みながら親友一人に対して口を滑らせるだけにしたほうがいい。

●SNSを避けるのも機会損失

 会えば決して好感度が低くないのに、SNSによってリスペクトをダダ下げしているおじさんというのは実に多い。

 多くの人が気軽に利用し、現在では多種から選べるSNSには、それぞれに求められる文法があるので、トレンドをつかむのは確かに難しいのだ。

 そして老いては子に従えなんていう言葉を真に受ける必要はないが、これほどスピーディーに進化し、またトレンドが変わるネット系のツールを使いこなすには、若者の身軽さほど向いている能力はない。

 逆に言えば「これが普通だったじゃん」「これは前にイケてるって言ってくれたじゃん」というような態度が、これほどまでに通用しない世界はない。ズレている感じがもろに露出してしまう様というのは、これはもうファッションの比ではない。

 それを、はなからもうついていけないとして、あえて全てのSNSの機会を放棄し、一線引いてみるのも一つの生き方ではある。

 ただ、それはそれで結構な機会喪失というか、少なくとも30代以下の世代では、もはや新しいツールですらない日常的な連絡手段、情報交換手段となっているそれを放棄してしまえば、もうちょっと花盛りを延長したいと考えているおじさんたちにとっては交流の場を一つなくすことになるのは間違いない。すでにお酒の席で、携帯電話を片手に連絡先を交換することすら稀な世代がどんどん花開いているのだ。

 さてしかし、おじさま方のSNSを覗き見すると、いいかも、と思える情報発信は少なく、これは絶対に必要ない、といったものを発信しては若者の冷笑を買って、時に気持ち悪いとすら言われてしまう事態が多く見受けられるのだ。そう言った「嫌われるSNS」には少なくとも大きく分けて2つのパターンがある。

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需要のない自撮り写真、上から目線の説教的な長文