「なんかいいこと」を言いたくなっても、SNSで全世界に発信などせず、アウトドアでコーヒーでも飲みながら親友一人に対して口を滑らせるだけにしたほうがいい (GettyImages)
「なんかいいこと」を言いたくなっても、SNSで全世界に発信などせず、アウトドアでコーヒーでも飲みながら親友一人に対して口を滑らせるだけにしたほうがいい (GettyImages)

 自分のFacebookに何を書こうが全くもって本人の自由だし、誰かを攻撃したり差別感情を撒き散らしたりするのでなければ、他人に何か言われる謂れはない。とはいえ、おじさんのSNSには、若者の冷笑を買ったり、時に気持ち悪いとすら言われてしまう情報発信も多く見受けられる。そうしたおじさんたちに共通するのは、受け取り手のことを考えず、自由に情報発信していることだ。だが、SNSとは、見ている人がどう感じるか、何を求めるかを考えて使う、不自由な表現手段と考えたほうがいいだろう。昨夏、従軍慰安婦を象徴する少女像の展示などで「表現の不自由展」が物議を醸したが、モテるおじさんのSNSとは、いわば「不自由な表現展」なのである。(作家・社会学者 鈴木涼美

●SNSにあふれる「いいこと」の合唱

 緒形拳と奥田瑛二がアウトドアで焚き火を楽しみながら、「なんかいいこと言いたくなっちゃうな」とかなんとか言ってネスカフェゴールドブレンドを飲むテレビCMを覚えている方がどれくらいいるだろうか。

 コーヒーの違いがわかる渋いおじさん2人が、アウトドアと焚き火の魔力で、普段なら照れくさいような恥ずかしいようなことを口にしそうになりながらしない、という絶妙な切り取り方が評判だった。

 さて、年に一度もないような「アウトドア」+「男2人きり」+「最高のコーヒー」みたいな状況で、後から聞いたら恥ずかしいようなことを言いたくなってしまう衝動はわからないでもないが、その衝動は少なくとも、パソコンやスマホに手が触れている状態では完全に押し殺したほうがいいと思う。

 コロナ禍と外出自粛でFacebookなどに触る時間が増えているのかなんなのか、最近SNSを見ていると、不幸にも「いいこと言いたくなっちゃう」おじさんたちの合唱を聴いている気分になる。もともと多いけど、最近特に多い。

 先日、Facebookを流し見していると、日本ではないどこかおしゃれな国の小さな町と思しき写真が投稿してあって、カラフルな屋根やドアの色が綺麗ではあったのだけど、そこについていた、ポエムともエッセイとも現状報告とも情報交換とも言い難い一文があまりに気になった。

 内容は、○年前に行ったどこどこのなんちゃらかんちゃら~。どの家も個性的でそれぞれが違う色だから全体を見た時に美しい云々。最近のツイッター論争などを見ると、この美しい写真がなぜ美しいかを忘れている人が多い、とかナントカ。

 投稿主はセミリタイアの紳士で記憶の中では教養人なのだけど、おじさんが大好きで淑女たちは大嫌いな「説教」と「名言」のみごとなコラボレーションに、画面の前でオエッとなっている淑女たちが多いのは想像にたやすい。

 表現の自由が一応保障されている国で、自分のFacebookに何を書こうが全くもって本人の自由だし、誰かを攻撃したり差別感情を撒き散らしたりするのでなければ、横から何か言われる謂れはない。

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鈴木涼美

鈴木涼美

1983年、東京都生まれ。慶應義塾大学在学中にAV女優としてデビューし、キャバクラなどで働きつつ、東京大学大学院修士課程を修了。日本経済新聞社で5年半勤務した後、フリーの文筆家に転身。恋愛コラムやエッセイなど活躍の幅を広げる中、小説第一作の『ギフテッド』、第二作の『グレイスレス』は、芥川賞候補に選出された。著書に、『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』『非・絶滅男女図鑑 男はホントに話を聞かないし、女も頑固に地図は読まない』など。近著は、源氏物語を題材にした小説『YUKARI』

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