世の中には素晴らしく、かつすごい経営者がたくさんいる。現代では京セラの稲盛和夫さんや日本電産の永守重信さん、ファーストリテイリングの柳井正さん、ソフトバンクの孫正義さんなどなど。彼らは、絶対に一度の成功体験に浸って終わりにするのではなく、「もっと、もっと」と求めてやまない。

 それは才能ではなく、やはりロマンとビジョンが大きいからだと思うのだ。「会社が自分のために何をやってくれるか」などという受け身の発想は一切ない。「自分がやらなければ前に進まない」という切迫感に満ちている。ロマンとビジョンが大きければ大きいほど、満足している暇がないのだ。

 ロマンとは、自らの生と事業を通じて実現したい夢だ。ビジョンとは、現状を否定するための評価尺度だ。人がなす決断で最も難しいのは「捨て去る」ことだが、ロマンとビジョンは、断固として捨て去ることを求める。なぜなら捨て去らなければ革新はありえず、前に進まないからだ。

 それは、乗り物にも例えられよう。自転車からバイク、バイクからクルマ、クルマからセスナ機、セスナ機からジェット機、ジェット機からロケット。より素晴らしい乗り物に乗るには、「乗りたい」と強烈に思い、その“免許”を取るために努力しなければならない。自分で自分を動かさなくてはならないのだ。

 優れた経営者は、常に今までやっていることを否定し、新しい乗り物をつくっていく。私の場合は、全てが逆境に背中を押されてのことだった。いや、ちょっと格好良く書いてしまった。逆境ではなく、自分の至らなさに背中を押されてのものだった。

●藁をもすがった米国視察に「藁」があった

 学校を出た後、サラリーマンとしてはどうしても使いものにならず、仕方なく父が経営していた似鳥コンクリート工業に戻ったが、父からは「会社は赤字続きで将来性はない。自分で道を考えろ」と突き放されてしまった。

 さて、何で食べていくか。たまさか「近所に競争がない」と考えて始めたのが家具屋だった。家具業界を知っているわけでもなく、「その若さでは無理だ」と言われながらなんとか問屋を見つけて、やっとの思いでオープンにこぎ着けたのが札幌市北25条の1号店で、1967年12月、23歳のときだった。

 小心者で吃音があり、接客が苦手な私に対して、愛嬌も度胸もある女房の内助の功に支えられて商売は順調だった。71年には250坪の2号店も出せた。

 しかし72年になると、2号店から500メートルほど離れたところに1200坪の大型の家具店が出店した。途端に売り上げが2割、3割と減り、資金繰りも見る見るうちに悪化していった。金融機関からの融資が止まり、取引先には支払いを延ばしてもらう日々となった。

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