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“豊臣秀吉が、織田信長より優れていた点とは?”歴史に学ぶ「戦わずして勝つ」法

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神野正史ダイヤモンド・オンライン
織田信長と豊臣秀吉。2人の英雄を分析することで、「勝つための戦略」が見えてきます

織田信長と豊臣秀吉。2人の英雄を分析することで、「勝つための戦略」が見えてきます

 戦国の世を終わらせる一歩手前まで来ながら、本能寺にたおれた織田信長。足軽から身を起こし、そして天下人まで昇り詰めることができた豊臣秀吉。2人の違いは何だったのでしょうか?人類5000年史から生まれた『最強の成功哲学書 世界史』から見ていきましょう。

「織田がつき、羽柴がこねし天下餅、座りしままに食らう徳川」

 江戸時代末期の詠み人知らずの落首(らくしゅ)ですが、三英傑をうまく表現した歌です。戦国の世を終わらせる一歩手前まで来ながら、本能寺にたおれた信長。足軽から身を起こし、そして天下人まで昇り詰めることができた秀吉。この差はどこにあるのでしょうか。

●“創造者”としての信長

 信長は天才肌・激情型・猪突猛進。

 秀吉は努力家・人情型・熟慮断行。

 どこから見ても対照的な2人ですが、もっと根底的な視点からみれば、信長はその行動様式が遊牧民的で、秀吉は農耕民的です。たとえば信長は、浅井・朝倉氏を亡ぼすや、そのしゃれこうべに金箔を貼って盃とし、祝杯を挙げていますが、これは遊牧民の習慣のひとつです。家臣たちはドン引きしていますが、信長はまるで意に介しません。

 戦の基本理念も遊牧民と農耕民とではまったく違います。遊牧民は敵を根絶やしにするまで戦うことを旨としますが、農耕民は主君さえ倒せばという発想です。その点においても、やはり信長は遊牧民的であり、秀吉は農耕民的でした。

 信長は、伊勢長島を10万の兵で包囲すると、城をひとつ陥とすごとに城内の者すべて、女子どもを問わず皆殺し! 比叡山や石山でも同じような按配でした。こうした信長のやり方は日本人の価値観にそぐわず、当時から非難の的となって、冷酷・非道・残忍・無慈悲……と、その評価は散々となります。

 しかしながら、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの言葉に、「創造者たらんとする者は、まず破壊者でなければならない」というものがあります。

 たとえば「新しい建物」を建てようと思ったら、その前にどうしても「古い建物」を取り壊さなければならないように、新しき時代を創造せんとする者は、まずその前に“旧き時代の遺物”を破壊しなければなりません。

 信長の野望「天下布武」は、この長く続いた戦乱の世(旧時代)を終わらせ、天下統一(新時代)を創造しようとするものです。ゆえに、彼に与えられた歴史的役割は、彼自身が「破壊者」となって”旧き世の遺物”にしがみつく輩を徹底排除することです。たとえ信長が好むと好まざるとにかかわらず。

 彼の一見残忍非道と見える所業も、そうした“大きな視野”から見れば、致し方ない側面もあったのです。


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